ティッピング・ポイント・リーダーシップ

☆本記事は旧ブログからのリサイクル版です。

なお、LAでは彼の改革はうまくいかず、引き続き治安は非常に悪いです。
その理由はいずれ深く知りたいと思っていますが、今のところ色んな人と議論してみた結果、①NYとLAでは街の構造があまりに違うこと(地下鉄中心or自家用車中心)、②人口構成も大きく違うこと(LAでは広範囲にわたってヒスパニックや黒人系の低所得者層が居住していること)等が大きな原因として挙げられるようです。

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Tipping Point Leadership
W. Chan Kim (Prof. of INSEAD)
DHBR Dec. 2003

久しぶりに本(論文)を読んで感動した。
組織の中で何かを「変えよう」と奮闘している人にはきっと同じように響くのではないだろうか。

ニューヨーク。
僕も1ヶ月ほど滞在していたが、威嚇的な「地球の歩き方」などの記述とは大違いにむちゃくちゃ治安がいい(マンハッタン)。一度だけ怖い目に遭ったが(それはまた別の機会に)、夜中2時頃に女性が犬の散歩をしている姿を何度も何度も目撃した。24時間動いている地下鉄に夜中遅く乗っても、気をつけてさえいれば危険なにおいはほとんどしない。もちろん場所と時間には気をつけなければいけないが、大方の人々のイメージよりも相当程度安全だと思う。

しかし、ほんの10年ほど前までは恐ろしく危険な街だったらしい。マスコミからも”rotten apple”などと呼ばれていたそう。

誰がこの街を変えたのか。

この論文を読むまでは、ジュリアー二市長だと思っていた。よくある話で、彼がNYの街を徹底的に清掃する政策を取った結果、劇的に軽犯罪が減少し、安全になったというものがある。僕もそのイメージで、NYを安全にしたのは彼だと思いこんでいた。

しかし、INSEADでグローバル・マネジメントを専門にするというキム教授によれば、その真の立役者はウィリアム・ブラットン市警本部長(1994-96)なのだそうだ。

ブラットン氏は、NY市警本部長に就任する以前から、ボストン(1977-1990)やNY市交通警察署で多大な成果を上げ、そのリーダーシップは大いに評価されていた。しかも、驚くべきことに、彼が去った後もその改革の成果は継続し、例えばNYは今もなお全米でもダントツに安全である。

その彼のリーダーシップには、本人も自覚しているはっきりとしたスタイル・方法論があり、それは、「ティッピング・ポイント・リーダーシップ」の典型、模範となるべきものなのだとキム教授は言う。

ティッピング・ポイントというのは、

ある組織において、信念や内的エネルギーの強い人の数が一定の臨界点を超えると、その瞬間、組織全体に新しい考え方が広がり、きわめて短期間で抜本的な変化が起こる
という考え方なのだそうだ。猿の芋洗いの話に似ている。


では、ブラットン氏はいかにして組織をティッピング・ポイントへと赴かせたのだろうか。キム教授によれば、要点は4つある。


1. 現場を認識させ、改革の必要性を突きつける

ブラットン氏は、改革の必要性を認識させるため、徹底して改革のキーパーソン達に「現実」を突きつけた。例えば、NY市の地下鉄の安全性の問題について、彼は市警幹部達が公用車を利用し地下鉄の実態を知らないという事実を認識するや、自分自身も含め、鉄道公安官全員が通勤等に地下鉄を使用するよう通達を出した。これにより、幹部職員の認識は大幅に、かつ短期間に変わった。

また彼は、警察官と地域住民との直接のコミュニケーションの場を設け、真に住民が問題としていること、必要と感じていることに対して警察官の目を向けさせ、意識を変えさせた。


2. 限られた資源を弾力的に重点配分する

改革に必要となる資源の問題については、よくある「新たに資源をぶんどってくる」という失敗しがちな方法を彼は選ばなかった。その代わり、現場の人間の協力を得ながら、現時点で集中すべきポイントを抉り出し、「狙い打ち」を行なった。例えば、犯罪の多かった地下鉄について、全線・全駅に警官を配置するという従来のポリシーの結果相当程度資源不足の状況にあったが、彼は詳細な分析の結果、犯罪が集中しているわずかな路線と駅を特定し、これに資源を集中した。そのためには、優先すべきでない課題に対する資源の配分を削減ないし打ち止めることも辞さなかった。


3. モチベーション改革

さらに、実際に改革に取り組む意欲を喚起するためブラットン氏が取った戦略が、「大きな影響力をもった人々を動かす」というものだった。彼に言わせれば、そのような人は「ボウリングのキングピンのようなもの」で、その人達が動くことによって、いずれ全体がついてくるのだという。具体的にNYで彼がターゲットとしたのは分署長クラスであり、幹部以下分署長クラスによる週2回のオフィシャルなミーティングを開催し、彼らに持ち回りで報告と質疑応答をさせることにより、全員を公平にプロセスに巻き込んでいった。やがてその効果は、各分署へも波及し、分署ごとにも同様なミーティングが開催されるようになっていった。

加えて彼が工夫したのが改革のスローガン。「NYを全米一安全な街にする」というあまりに大きな夢物語の代わりに、「NYPDは、街を1ブロックずつ、1管区ずつ、1行政区ずつ安全にする」という表現を用いて、1人1人の警察官が意欲と責任を意識できるようにした。


4. 政治プロセスの打破

最後に、彼は組織内外での政治についても用意周到だった。まず、市警内においては、有能な右腕のサポートを得つつ、個別の改革事項に反対しそうな人物を入念に特定し、反論しようのない実例や事実を提示し、反対意見を抑えていった。また、組織外の反対者・反対組織(この場合は裁判所)に対しては、ジュリアー二市長やマスコミ(New York Times)を動かし、反対勢力を的確に孤立させていった。


要約しているためあまり生々しさが伝わらないかもしれないが、豊富な実例を伴った、理解しやすい、かつ説得力のある内容。組織を動かしていく上でのたくさんのヒントがここにはあると思う。

ちなみに、ブラットン氏は、その手腕を買われ、NY市警の後にLA市警に移ったらしい。しかし、今のところLAが安全になったという話は聞かない。在学中に一度機会を作って取材をしてみたいものだ。