8つの文明

文明の衝突

文明の衝突

第一部 さまざまな文明からなる世界


第二章 歴史上の文明と今日の文明


本章では大略3つのことが論じられている。第一に、文明のそもそも論。文明とは何か、文明を構成する要素は何か、等々。第二に、本書の主張の中で重要な位置を占める「8つの文明」構造について。様々な学者による文明論研究の蓄積を踏まえ、ハンチントンは現代の主要文明は以下の8つに分類できるという。

①中華文明
②日本文明
ヒンドゥー文明
イスラム文明
⑤西欧文明
ロシア正教会文明
ラテンアメリカ文明
⑧アフリカ文明
(存在すると仮定)

第三に、文明と文明の関係はこれまで二つの段階を経て発展し、現在は第三段階にあるという。第一段階は、文明同士が時間と空間によって隔てられ、「文明観の接触は存在しないか、限定されているか、断続的に集中しているかのいずれかだった」(p.64)「遭遇期」。第二段階が、西欧がいち早く発展したために、西欧中心に世界が回っていた「影響期」。そして現在の第三段階は、多文明による「相互作用期」である。


それぞれ非常に含蓄があり、興味深い議論が多い。とてもすべては要約・引用できないが、特に印象的だった言葉をいくつか書き抜いておこう。

「国際関係の歴史が」と、ボーズマンは結論している。「正当に実証している学説のとおり、政治制度は文明の表層における一時的な便法であり、言語や道徳でまとまったそれぞれの共同体の運命を最終的に左右するのは、共同体をかたちづくる基本的な思想が生き延びるかどうかであり、その思想を中心に何世代もの人びとが途切れることなくまとまってきており、その思想が社会の持続性の象徴となっている」。(p.57)

西欧が拡大した直接の原因は技術だった。海洋を公開する手段が発明されて遠方の土地へ行けるようになり、軍事能力が発達してその土地の住民を征服することが可能になったことである。・・・西欧が世界の覇者となったのは、理念や価値観、あるいは宗教(他の文明から改宗する者はほとんどいなかった)がすぐれていたからではなく、むしろ組織的な暴力の行使にすぐれていたからなのだ。西欧人は往々にしてこの事実を忘れているが、非西欧人は決して忘れることがない。(p.69)

二十世紀の政治的イデオロギーの主なものには、自由主義社会主義無政府主義、協調組合主義、マルクス主義共産主義社会民主主義保守主義ナショナリズムファシズムキリスト教民主主義がある。これらはすべて一つの共通点をもっている。いずれも西欧文明の産物だということである。他の文明は意味のある政治的なイデオロギーをまったく生みださなかった。だが、主要な宗教のうち、西欧で生まれたものは一つもない。世界の主な宗教はみな非西欧文明の産物であり、ほとんどの宗教が西欧文明の誕生より先に生まれている。世界が西欧一辺倒の時期から脱出するにつれ、後期の西欧文明の特徴だったイデオロギーは力を失い、そのかわりに宗教をはじめとする文化的な基盤をもつアイデンティティや責任感が幅をきかせるようになる。(p.72-73)

一九一八年に、シュペングラーは西欧で優勢となっている歴史観を批判し、古代、中世、近代という西欧にしか当てはまらない区分による近視眼的な見方を非難した。彼が言うには、「天動説的な歴史へのアプローチ」にかえて、コペルニクス的なアプローチを採用し、「一つの直線的な歴史という絵空事」ではなく、多数の力強い文化のドラマを研究する必要があったのだ。その数十年後、トインビーは西欧の「自己中心的な錯覚」にあらわれる「偏狭さと無礼さ」とを厳しく批判した。つまり、世界は西欧を中心にまわっており、「変化しない東洋」があり、「進歩」は必然的だという錯覚である。シュペングラーと同じように、彼も歴史は一つであるとする説を認めず、「文明の流れはただ一つ、われわれの文明であり、それ以外はすべてその支流であるか砂漠の砂に埋もれてしまった」とする説を批判した。トインビーの批判から五〇年して、ブローデルも同様に、われわれは努力してより広い視野を身につけ、「世界の文化の偉大な衝突や文明の多様性」を理解するべきだと説いた。しかし、これらの学者が戒めた錯覚や偏見はいまだに生き長らえ、二十世紀末にいたって西欧のヨーロッパ文明はいまや世界の中の普遍的な文明だという偏狭なうぬぼれとなってはびこっている。(p.75)