アングロサクソン的思考と資本主義の変わらぬ本質

シャルムエルシェイクのホテル
シャルムエルシェイクのホテル posted from フォト蔵
昨日はMorality&Leadershipのfinalでエッセイタイプのin-class試験を受けた。そのうちの一つが大体以下のような内容のケースだった。

「とあるIPO済みのハイテク・ベンチャーにおいて、curporate purposeを定めたいとCEOが考えているが、マネジメントチームの間で株主、顧客のいずれの利益を重視するべきか、あるいは両者+従業員、社会のすべての利益をバランスすべきか、という3つの立場が拮抗している。①自分がそのCEOだとしたら、どの立場を取るか。それはなぜか。②それぞれのpurposeの違いによって企業のパフォーマンスに相違は生まれるか。生まれるとすればそれはなぜか。③現在の3つの立場が拮抗している状況下において、①を採用するために実際にどのようなアプローチを取るか。」

そして今日は、明日の今年度最後のアントレ・ファイナンス勉強会に向けて、Sahlman教授によるDCF法のnote("Note on Free Cash Flow Valuation Models" HBS 9-288-023)を読んでいる。

半ば必然的に、自分の中でリーダーシップの試験において問われたことと典型的なファイナンスの考え方の中に示されていることの二つのロジックがきれいにつながった。そして、結局、株主利益の最大化という哲学は、資本主義の変わらぬ本質を体現しているのだなと改めて思わざるを得なかった。


株主利益の最大化、という考え方は、ものすごく単純化して言ってしまうと、DCF法に基づいた企業の現在価値を最大化せよ、という話になる。その方法をさらに単純化して言ってしまうと、

①コストカット+出来るだけ高い製品orサービスのプライス → Higher profit margin
②net working capitalも出来るだけ少なくする。
③capital expenditureは出来るだけ小さくする。

ということになる。①②③が実現されれば各期のキャッシュフローは極大化され、cost of capitalやdebt amount等の他の条件が等しい限り、企業の現在価値も極大化される。そうすると、株主へのリターンも極大化される。そして、それを目指しなさい、というのが株主利益最大化の哲学の意味するところだ。


でもそれって結局どういうことかというと、①をbreakdownしてみると、
○従業員の給料は出来るだけ低く抑える。
○価格は出来るだけ高くして顧客の利益は出来るだけ減らす。
○将来に向けたR&Dや設備に対する投資も出来るだけ減らす。
等々の行動につながるということが分かる。corporate purpose寄りの言い方をすれば、
従業員への利益配分は出来るだけ減らす。
顧客に対する利益配分は出来るだけ減らす。
という話になる。3つめの点について同様に抽象化して考えれば、
長期的利益よりも短期的利益を重視する。
ということになる。極端なケースだけど、この長短の話は単純なasset売却のためのLBOのケースなども念頭に入れればよりはっきりすると思う。

ものすご〜く単純に言ってしまえば、従業員もお客も長期的な利益もすべて「搾取」して、とにかく投資家の利益を最大化せよ、と言ってるわけだ。したがって、何をいまさら、と思われるかもしれないけれど、「株主利益を最大化せよ」というcorporate purposeを信奉するアングロサクソン系の企業は資本主義の変わらぬ本質に忠実に従い続けているのだ。


※DCF法自体を批判しているわけではありません。念のため。


日本人だからかどうか分からないけど、僕はこの価値観はまったく好きになれない。と改めて確認できた。株主利益最大化命題は、要するに現場で必死に頭と体と時間を磨り減らしながら戦っている企業人が資本家のためにもっともっと必死に、しかも出来るだけ安い給料で働くことを求めているわけで、反感を感じずにはいられない。僕が資産家の息子として生まれていたらもしかしたら正反対の価値観を持ってしまっていたかもしれないという一抹の懸念は残るけれども。

ここでは詳細には論じないけれど、価値観の観点だけではなく、純粋に経済的な観点からも、実は「株主利益最大化」は株主利益を、少なくとも長期的には、最大化することにつながらないのではないかと思う。例えば、顧客利益を最優先し、次に従業員の利益を優先する、株主の利益はその次、という考え方の方が、高い顧客満足、従業員の高いモチベーションを通じて、長期的には高いリターンが得られるのではないだろうか。少なくとも長期的にその企業の株を保有する株主にとっては。

大きく国の視点から見ると、フランスみたいに労働者を保護しすぎて国としての競争力を失うのもどうかと思うけれども、日本はアングロサクソン的思考にどっぷり根ざした方向には行かない方がいいだろうと思う(正確に言えば行って欲しくない)。小泉政権下で相当アメリカ型の制度に移行したけど、行き過ぎないうちに日本としての独自のあり方を、哲学レベルからきちっと考える必要があると思う。


卒業までにもうちょっといろいろ深く考えてみなくちゃ。