気分爽快!!

今日はFinancial Policy & Strategyのケースのプレゼンの日だった。1998年までのDellの成長とDellに対するcompetitorsの対応についてまとめられたHBSのケース。教授からは特に、今回はstrategyに焦点を置いて分析をするようにとの強い指示があった。

前回の記事「腹に据えかね」にもあったとおり何かとしんどい本クラス、気を抜くとうっかり投げ出したくなる時もあったりするのだけれど、今回は大きなブレイクスルーがあった。

第一に、教授から、プレゼン終了後に"Very Good"という初めて聞くコメントをもらった。今まで一度もBinay教授の口からこんな言葉が漏れたことはない。終了後焼き肉を食べに行ったときに、とあるFinancial Engineeringの学生も「それはすごくレアなことだよ」と言っていた。なので、相当に嬉しかった。大体前のプレゼンでは相当しばき回されてA-しかもらえなかったし。

第二に、1つのケースについて3つのチームがプレゼンするのだけれど、主観的な部分も客観的な部分も含めて、僕らのチームの分析と提言のqualityは圧倒的にずば抜けていた(<自分で言うなと)。カバーしている論点、使っている分析のフレームワーク(といってもSathe教授の授業で学んだものを忠実に丁寧に使っただけだけど)、分析結果のパッケージングの仕方(図表の美しさ等)、提言した戦略内容のqualityは明らかに圧倒的に優れていた(プレゼンの時間も長かったけど)。そして98年時点の株価分析に定量的なアプローチを行なったのも僕らのチームだけだった(thanks to N)。結果として、プレゼン後のディスカッションも、他の2チームは申し訳程度にパラパラコメントがあっただけだったが、僕らのチームのプレゼンのあとには30分くらいディスカッションが続いた。ディスカッション後のブレイクの間にも多くの人から"Good job"と言われ、あるグループの間では僕らの提案の内容に関するディスカッションが行なわれていたりもした。

第三に、Dellの新しいCompetitive Advantageとしてdesignを加えdesign-orientedの製品ラインを増やすべし、という提案パッケージの中の一つの施策も教授は相当気に入ったらしく、後の講義ではっきり「いいアイデアだ」「気に入った」と言及していた。これも結構めずらしい。そしてかなりうれしい。

第四に、例の問題の人との関係についても進展があり、先週腹を割って話をしたからか、彼もかなり素直に話を聴くようになった。相変わらず常に焦って早く終わらそうとするし、付加価値のあるコメントもほとんどなく、口数だけは多いという状況は変わっていないのだけれど、ディスカッションにかかるコストはかなり低下した。また、write-upについても、勝手に書き換えて投げるのではなく、一応彼の同意をオフラインで得ることを先にしたところ、あっさりほとんど読みもしないでだけど、そのまま受け入れてくれた。これもかなりコストカット要因になる。やっぱりこの点については以前の僕のやり方がまずかったことを認めざるを得ない。相当勉強になった。そして、ついでにアメリカ人メンバーもこれまでの僕が陰でやってた書き直しの努力とそれが必要不可欠であることをすべてシェアしてくれたので、精神的にも楽になった。問題児くんはプレゼンのあとにも初めて僕ともう一人の日本人Nに対して"You guys did great job!"と嬉しそうに言っていたのでようやく素直に認めてくれるようにもなったのかもしれない。これも結構大きい。いや〜先週と打ってかわって気分爽快。あとたった2回しかグループワークの機会はないけど、今後は相当楽になると思う。

と、うれしいこともあって、ビールも飲んで1年以上ぶりにJapanese焼き肉も食べ、すっかりリフレッシュしたところで、最もしんどい水木を乗り切る元気が湧いてきた。

腹に据えかね

こんなこと書くべきでないとも思うけれど、腹が立ってしょうがないのと、自分の反省すべき点もあるので書き残しておきたいと思う。ある程度は本人にも伝え済みのことでもあるし。立腹度は過去最高級だ。

*でも読後は心の中にしまっておいて下さい。>ドラッカーの皆様。


ファイナンスのグループメンバーの中に、一人困った人がいる。彼はコーポレート・ファイナンスの理論がほとんど分かっていない。公平に言えば、表面的にしか分かっていない。表面的にしか分かっていないことを自覚している僕から見てそうなのだから相当なものだ。でも彼自身は分かったつもり満々だ。さらに「数字は嫌い」と公言し、コーポレート・ファイナンスの肝の一つであるPro FormaやEvaluationのプロセスではチームへの貢献度が限りなくゼロに近い。むしろ議論をかき回すのでマイナスと言ってもいいかも知れない。

それでも例えばストラテジーの側面でよい議論やアイデアを出すのであれば、そこは分業ということで十分contributionになる。彼自身も「数字は嫌いだが、自分はstrategy guyだ」と言っている。しかし、正直、冗談はよしてくれ、なレベルだ。適当な思いつきを言うだけで、ファクトの裏付けはないし、大体ファクトを間違ってる。

それでもそれでも、きちんと議論を理解して、writingでしっかり貢献してくれるのであればfair enoughだ。ところが、彼のwritingは小学生レベルでとても使えない。毎回一番簡単なパートを取っていって(そこしか振れないのでそれ自体はむしろwelcomeなのだが)、outputは最低。毎回かなりの程度(平均80%)書き直すことになる。できるだけ彼に対してoffendingにならないように留意しながら(Could I add some more details?とか何とか)。一体どれだけの時間を無駄にしていることか。

それでもそれでもそれでも。もし彼がよく人の話を聴いて、良くないところは改めて、みたいな柔軟性を持った人であれば、上記3点もすべて許して一緒にやっていこうと思えるだろう。これはあくまでB-Schoolのグループワークに過ぎないのだから。On the contrary,既にimplyされているように、彼には自分は十分にできる人だという思いこみがある。


で、いつか起こるだろうなとは思っていたが、今日決定的に腹に据えかねることが起きた。ケースのプレゼンが終わってbreakに入った途端、B+しかもらえなかった前回のwrite-upについて彼が「もしどこかを書き換えたら、そこについてはそいつが責任を負うべきだ」と憎々しげに言い放って教室を出て行った。

これには伏線がある。先週例によってあまりにお話にならないレベルのwrite-upを書いてきたので、自分に出来る限りの気を遣って書き直した。その時当然一悶着あって、彼は、(結論を書いたのが僕だったこともあって)「全体のconsistencyを確保するために、君の修正を受け入れる」と言う。さらに、その後「consistencyを重視したんだから、いいグレードがもらえることを祈る」と捨てゼリフを言って去っていく。自分の書いたもののクウォリティなどはまったく省みてもいない。その後も先週のクラスのディスカッションの中で僕らが想定していなかった論点がメインになっていたこともあって「あちゃ〜」という感じだったのだけれど、彼はこれ見よがしに「CかDだな。Bがもらえたら御の字だ」みたいなことをしつこく繰り返す。この先週の一連のやりとりの中でかなり臨界点に近づいていた。他にもメールでの不愉快なやりとりがあった。

しかし、今週のグループワークは、彼の相変わらずのやる気のなさとwritingのlow qualityを除けば結構生産的な議論が出来たし、彼とも割合いい感じにコミュニケーションが取れていたこともあって、今後はまあそれなりにやっていけるかなと期待していたのだけれど、すべてをひっくり返すような上記の発言が飛び出した。

ピンと(「カチン」とか「プチッ」とも言う。)来たので、
俺が書き換えたからB+だったって示唆してるのか?
と聞いた。彼は「そうじゃない」と言いつつも、結局言ってることはそうだった。もう限界を超えてしまい、いかに彼の仕事のレベルが低いかということを率直に、でもできるだけ冷静に、具体例を示しながら説明してやった。今思えば他にやりようがあったかも、と思うけれど、自分が投じている時間とエネルギーとこれまでの鬱憤からすると、彼の発言はまったく笑ってやり過ごせるものではなかったのだ。穏やかに話してはいたが、内心はマジギレしていた。これはほんとに久しぶりだ。腹の中は煮えくりかえっていた。

しかし、彼にしても「そうですか。僕の仕事はダメなんですね」なんて受け入れられる話でもないので、当然お互いに切れあって終わっただけだ。その口論における最後の彼の発言は「お前はグループを支配しようとしている」だった。いやはや。

授業終わったあとに、彼なりに考えたのか、「俺はストラテジーに集中する。お前はファイナンスに集中しろ。それでいいだろ」と言って去っていった。それも既に間違っているのだが、どうにもしようがないし、彼とそこまで徹底的に付き合うヒマも動機もないし、「そうだな」と言っておいた。あと3〜4回のケースは基本彼のその枠組を尊重し(たフリをし)つつ、出来るだけやわらかく、ストラテジーの議論を精緻化することに努めようと思う。彼が貢献意識を持てるように気をつけながら。頭が痛いのはどうやってwritingを直すかだ。率直な議論は多分彼が受け入れないし、それほど時間もない。胃が痛いことだ。


と、怒りに任せて書きつづってしまったが、カーネギーによればリンカーンならここでこのエントリをupしないで捨ててしまうだろう。僕はそこまで人間が出来てないのでupしてしまいます。自分の大きな反省点もあるので。

反省点とは、そもそも最初のwritingのときから、手間と時間を惜しまず、懇切丁寧に、彼のwritingのbrush-upに付き合ってあげればよかったのだということ。彼の書いたものを最大限尊重しながら。それをすると確実に残りの十週間同じことを繰り返すハメになり、莫大な時間を投じることになっていただろうけれど、少なくとも感情的なエントロピーは最小化されていただろうと思う。そのうち彼の方でも、次はより詰まった議論をしよう、というよいモメンタムが生まれていたかもしれない。

もっとシンプルに言えば、いかにメールの文面が丁寧に書いてあったとしても、自分の書いたものを勝手に直されて、押しつけられてしまったら自分自身の人格を否定されたような気になるだろういくら時間がないからそうするしかないと思えるような緊急の場合でも、どんなに内容がぐちゃぐちゃでお話にならないレベルのものであったとしても(本人はそもそもそう思ってないのだからなおさらだ)、それを書くのに彼が投じた時間や彼のプライドを考えればそれは当然のことだ。だから、しっかり可能な限りの時間をかけて、彼にも最大限の納得をしてもらいながら、作り直すしかないのだ。多分。


と冷静に考えてみれば、自分の落ち度が見えてきた。

次回に向けて真剣に対処法を考えてみよう。

ハロウィン・パーティー

一足早く、28日土曜日に開催したハロウィン・パーティー

事前のRSVPは45人に達し、やべ100人来るかも、と思うほど事前の期待値が高まっていました。会場はScrippsという同じキャンパス内にある女子大のかっこいい庭園(Margarette Fowler)。7時から12時までで本来なら$2,000も取られるところ、無料にしてくれました。キャンパスポリシーでアルコールを出すときはセキュリティを雇って入り口でIDチェックをしろ、バーテンダーも雇え、と色々うるさい面もありましたが、全体的には大学側には大感謝です。

地元のブリュワリーから、5ガロン$35(約50人分で4000円未満と思って下さい。)という驚異的な低価格でKeg(生ビアサーバー)を調達できたのも今回の収穫。他のパーティーにも応用できそうです(とはいえ、味が薄かったので、もうちょっとグレードの高いものを頼んだ方がよいかも)。

今回のコンセプトはずばりコスプレ。被写体の同意が得られていないので写真は載せられませんが、みんな予想以上に気合いが入っていました。写真の代わりに以下のサンキューメールの赤字部分をご覧下さいませ。ちなみに、ワタクシ自身はコスチュームを買いに行く時間がなかったため、浴衣でお茶を濁しました。まあでもそこそこ好評。

Hi all,

Thank you for coming to the Drucker Halloween party!
It was really great.
We hardly imagined that so many of costume players appeared!!

We've met:
Sith Lord from Star Wars; Scary-looking biker dude; blonde, pregnant GENTLEMAN and his baby; angel; Honeybee family; TWO sumo wrestlers; Cow-man and cowboy; Sexy witch with her broom; Boy Scout officer; Enigmatic mistress; Crazy clown; Grudge ghost; Cute ladies with butterfly eye masks; Alien from outer space; Chun Li from Street Fighter; Monster Twins; Lady Ninja; a lone musketeer; Cat & Rabbit; Gorgeous femme fetale; Funky Afro DJ and his wife; Cool kimono lady; Aquaman; Cute monkey; Construction worker and so on...

We've got plenty of pictures. We'll get them out to you as soon as we collect of them.

Again, thank you to everyone.
Please come again to our next party and enjoy yourselves.

With warm regards,
Your DSSA

もう少し人数が来ればさらに盛り上がったのでしょうけれど、5時間も続くパーティーだったことから、前半に来る人と後半に来る人に別れ、全体的には人口密度が低い目に見えたのが残念でした。会場が結構spaciousだったことも一因でしょう。

anyway, それなりの成功ではあったと思うので、また次がんばりましょう。
写真もそのうち載せられたら載せますね。

死の谷(3)

そしてデスバレー・シリーズ第3回はバッドウォーターです。
ファーニス・クリークから悪魔のゴルフ場への小径も過ぎて、アーティスト・パレットの入り口もさらに過ぎてひたすら南へ向かうと、やがて、真っ白い平原が見えてきます(下の写真は実際にはアーティスト・パレットのプチ峠道から振り返っているため、見下ろしアングルになっています)。
バッドウォーター6
バッドウォーター6 posted from フォト蔵
この真っ白い平原がいつまでもいつまでも続いて、ようやく駐車場らしき場所に辿り着きます。ファーニス・クリークからはおよそ20マイル(32㎞くらい)。想像以上に長いです。ほんとに車のコンディション命です。

そして、駐車場から徒歩で大雪原(笑)へ向かいます。ここに何故橋があるのかは後ほど。
バッドウォーター2
バッドウォーター2 posted from フォト蔵
彼方に見えるのが目的地ですが、こう見ると近いように錯覚します。が、後で振り返ると、、、
バッドウォーター5
バッドウォーター5 posted from フォト蔵
駐車場のトイレが辛うじてゴマ粒くらいに見えるくらいの遠さです。マジ疲れます。水もドンドン消費します。歩いてるうちはまだいいのだけれど、車に入ってドアを閉め、一服した瞬間にどっと疲れが出ます。なんせ摂氏50度を過ぎた世界ですから。それでも湿気がほとんどないところが救いです。これで日本並みの湿気があったら、きっとサウナの中を歩き続けているようなものでしょう。

さて、目的地に着くとそこは一面の銀世界!
バッドウォーター4
バッドウォーター4 posted from フォト蔵
ほんとに見渡す限り真っ白です。もちろん、雪ではなくて塩。悪魔のゴルフ場とは違って、泥と混ざらずに塩の白さを保っているのです。デスバレーは昔(といっても相当に昔)、巨大な塩湖だったらしく、干上がった後の塩が今もこうして残っているのだそうです。

それで面白いのが、実はこの塩の下には、何と水が流れている箇所があるんです。
バッドウォーター3
バッドウォーター3 posted from フォト蔵
誰かが掘った後ですが、他にも何ヶ所か似たような穴がありました。そして、塩の下を流れている水は、ちょうど駐車場の手前当たりに川のように集ってきます。
バッドウォーター1
バッドウォーター1 posted from フォト蔵
冒頭の橋はここにかかっていたんですね。

この広大な砂漠に何で水が流れているのか。実はデスバレーにも年間降水量が50mm程度はあって、しかもカリフォルニアらしく、降るときには集中して降ったりするみたいです(洪水にもなったりするらしい)。常にバッドウォーターの下に水が残っているのかどうか、あるいは徐々に干上がってしまって、運が良くなければこの光景を見れないのかは分かりません。もしかしたら僕はラッキーだったのかもしれません。

ちなみに、僕は行き損ねましたが、急坂を超えてダンテスビューに登り、1600メートルを超える展望台から見渡せば、バッドウォーターの全貌が見渡せるらしいです。車が少し心配な面はありますが、相当な絶景であることは間違いないことでしょう。

死の谷(2)

C190側から入ると、デスバレー観光の中心地ファーニス・クリークの手前でザブリスキー・ポイントという最初の景勝地に出迎えられます。
ザブリスキー・ポイント1
ザブリスキー・ポイント1 posted from フォト蔵
ザブリスキー・ポイント2
ザブリスキー・ポイント2 posted from フォト蔵
こんな感じで、風に削られていたりとか、マーブル模様だったりする岩肌が集合している地点です。まあ、ぶっちゃけ大したことありません(笑)。今回はもったいないことに行きませんでしたが、その割合近くにあるダンテス・ビューの方が相当希少価値は高そうです。

そして今日はもう一つ。デスバレーにはDevil's Golf Course、悪魔のゴルフ場と呼ばれている場所もあります。

 絶妙のネーミングだ。塩の結晶と泥が混じり合い、固まって激しい凹凸を造りあげている。人間ならゴルフはおろか、ラグビーもできないような荒地だが、悪魔ならここでプレーできるということなのだろう。SF的な不思議な風景だ。(地球の歩き方より)

少し離れて見るとこんな感じで、
悪魔のゴルフコース2
悪魔のゴルフコース2 posted from フォト蔵
接近してみるとこんな感じです。
悪魔のゴルフコース1
悪魔のゴルフコース1 posted from フォト蔵
ほんと、きちゃない塩の塊が延々と続いているという感じです。あまりに汚いので舐めてみることはしませんでした。

デスバレーのお話、まだまだ続きますよ。
意外にいい観光スポットなのかもしれません。

ポールソン財務長官

つい先日、ある友人から2〜3年前に書いたプロジェクトのレポートをもらった。そのプロジェクトの成功が目覚ましいものであったことに加え、そのレポートの内容も素晴しく、社長賞その他の表彰を受けたもの。まだ全部読めてないけれど、ほんとに素直に感動し、尊敬できるレベルのもので、身近な人に対してこれほど畏敬の念を覚えたのは久しぶりだ。いや、もしかしたら初めてかも、というくらい。

色々思うことはあったけど、特に「こんなすごい人がいるんだ」と素直に思ったことが大きい。まったく嫉妬したり悔しがったりすることなく、謙虚な気持ちになれた。「自分は自分のできることを少しずつやっていこう」と肩の力が抜けて楽になった。そのくらい、気持ちのいいインパクトがあった。

そんな気持ちになっているところで、寿司をツマミながら読んでいた本の中でこれまた感銘を受ける人物に出会った。多分、素直な気持ちになっていたから余計に心に響いたのだと思う。本は、

世界企業のカリスマたち―CEOの未来戦略 (日経ビジネス人文庫)

世界企業のカリスマたち―CEOの未来戦略 (日経ビジネス人文庫)

もう結構古いもの。

その中で、元ゴールドマン・サックスの会長兼CEO、現ブッシュ政権の財務長官のヘンリー・ポールソンについて以下のようなエピソードが紹介されている。

 彼がゴールドマン・サックスにいなかったのはほんの数年間、ハーバード・ビジネススクールをでてすぐの一九七〇年代初頭に、ペンタゴンホワイトハウスで働いていたあいだだけである。ポールソンと私はダートマス大学の同級生で、当時の彼は、アイビーリーグフットボールチームのラインマンをしていた。私たちはニクソン政権下のホワイトハウスでも同僚で、彼はそこでは若干二六歳にして、ジョン・アーリックマンの率いる内政評議会の議長代理になったのである*1。それから二〇年近く、ときおりすれちがったことを除けば、彼とはずっと会っていなかったが、ポールソンについては忘れられない思い出がある。自分の手がけたことにはすべて勝つという彼の姿勢がその一件にありありと示されていたからだ。
 一九七三年一月のこと。私たちは屋外でパドルテニスの試合をしていた。私は八歳のときからラケット競技になじんでいたが、ポールソンのほうは初心者だった。その試合で、私は彼をコートの右から左へ、後ろから前へ、前から後ろへと、おもしろいように走りまわらせていた。彼は立派な体格をしていたが、さすがに疲れていたようだった。摂氏マイナス十二度という寒さも手伝って、息もつけないありさまだった。私が大勝していると、彼がタイムを要求してきた。かまわないさ、と私は言った。もう切り上げて、つづきはまた今度にしよう。いや、と彼は答えた。ほんの一分もらえればいいんだ。それから彼はコートの端へ行ってかがみこみ、胃のなかのものを吐いた。おいおい、と私は言った。もうなかに入ろう。次の週末にでもできるじゃないか。ポールソンはうずくまり、顔を真っ赤にしていた。しかし答えはない。そのまま長い時間がたったような気がした。すると、彼がゆっくり立ち上がった。オーケー、もういいよ、つづけよう。私は再度、試合の延期を提案してみたが、彼は聞こうとしなかった。これは自殺行為ではないかと心配になり、少し手加減しなければいけないかな、と思った。だが、その考えは長く続かなかった。一分もしないうちに、ポールソンが怒り狂った獣のように襲いかかってきて、私は防戦一方になった。そして、結局、彼は私を打ち負かしたのである。
 それから約二五年後、私はウォール街にある彼のオフィスで、彼と向かいあって座っていた。世界有数の投資銀行のチーフ・エグゼクティブには似つかわしくない、つつましい部屋だった。ポールソンは腕のなかほどまでワイシャツの袖をまくりあげていた。前かがみになって腰掛け、次から次へと言葉を繰りだし、休むことを知らないエネルギーで部屋中をみたした。その姿は実にタフで力強い印象を与えたが、傲慢さはかけらも感じさせなかった。(p.41-42)

ほんと、コメントも不要だと思うけど、世の中にはこんな人がいるのだな、と改めて深い感銘を受けた次第。と同時に、繰り返しになるけど、ムダに肩肘張る必要はないし、虚勢も張る必要もないし、必要以上に野心を抱く必要もなくて、ただただ自分の目指すところに向けて淡々と謙虚に諸々を積み重ねていけばいいや、とポジティブに思わせてもらえた。友人のレポートとこのエピソード。なかなか素敵なcoincidenceに感謝。

*1:ドラッカースクールの新学長も、28歳にしてケネディスクールのassociate deanに就任したというかなり破格の人なのだけれども、ポールソン氏はさらにそのはるか上を行く人のようだ。

死の谷(1)

すでに2ヶ月も経過してしまいましたが、旅行記の続きを...
享楽の街ラスベガスから打ってかわって死の谷へ向かいます。色々な情報源から車のトラブルがほんとに命取りになるので、気温/太陽が上がりきらないうちに移動した方がいい、という話だったので、朝6時にミラージを出発。一路西へ。

ラスベガスからデスバレーへは簡単なルートで行けます。まずはNV-160を西へ向かい、軽く峠を越えてPahrumpの町へ。ここはまだラスベガスの名残か、単発カジノがあったりします。相当な砂漠なんだけど、人口は割と多そうで、「こんな生活しにくそうな所でも好んで(じゃないかもしれないけど)住む人がいるんだなあ」と、思いながら、一方で「こういうところで野心を捨てて世捨て人みたいに生活するのもそれはそれで面白そうだな」という印象を持ったのを覚えています。

ここで軽く朝飯を食べ、さらに西へ。ところが若干トラップがあって、次の目標にしてたNV-372が見つからない。か〜なり北に行ってしまったあとでグロサリーに寄っておばちゃんに道を聞いたところ、どうも途中で出てた「デスバレーはこちら」みたいな看板の所を曲がるのが一番の近道だったらしい(道の名前書いてなかったから無視しちゃったのです)。もしロスからではなく、ラスベガスからデスバレーへ行かれることがあればご注意下さいませ。

さて、ここからがひたすら砂漠の道。対向車もほとんどいない。ず〜っとこんな感じ↓ですわ。
デスバレー2
デスバレー2 posted from フォト蔵
iPodというよきパートナーがいなければ確実に居眠りしてしまいますな。

もはや何時間くらい走ったのかも覚えていないけれど、途中で一瞬CA-127(そう、再びカリフォルニアに戻っています)を経由したあとでCA-190に乗り換え、西へ走り続けるとデスバレーに到着です。

ちなみに、ある旅行サイトによれば、

デスバレーという名前は、1849年、カリフォルニアに向けてのゴールドラッシュのさなかに、金を求めてカリフォルニアに向かっていたある小探検隊が近道をしようとしてこの谷で道に迷った結果、メンバーのうち数人が酷暑と水不足のために命を落としてしまった事故に由来しています。

だそうです。ほんとに暑いんですよ。激烈に。普通に長時間歩いてるだけで目眩がしてきそうになります。僕が行ったときは55度(華氏じゃなくて摂氏)でした。そりゃ人も死にますよ。

風景はたとえばこんな感じです。
デスバレー3
デスバレー3 posted from フォト蔵

あるいはこんな感じで、ひたすら土漠、砂漠、岩漠の中をわずかな舗装路が走ってます。
デスバレー4
デスバレー4 posted from フォト蔵

観光客は結構多いですが、交通量の密度は必ずしも大きくないため(デカすぎるから)、トラブったらマジであの世行きの雰囲気です。yuheiやgogoさんやyoneに忠告されていたのでかなり警戒していましたが、愛車CRVはずっと冷房かけててもラジエータのメータが半分を超えることもなく、パンクすることもなく、快調この上なく走ってくれました。ビバ日本車てなもんです。

そして、見にくいかもしれませんが、これもデスバレーの大きな特徴の一つ。

デスバレー1
デスバレー1 posted from フォト蔵

標高マイナス190フィートです。そう。僕は東京よりもかなり低い位置にある砂漠にいたわけです。考えてみると面白い。アメリカで一番標高の低いポイントもデスバレーの中にあったりします。

続きはまた次回。