ポールソン財務長官

つい先日、ある友人から2〜3年前に書いたプロジェクトのレポートをもらった。そのプロジェクトの成功が目覚ましいものであったことに加え、そのレポートの内容も素晴しく、社長賞その他の表彰を受けたもの。まだ全部読めてないけれど、ほんとに素直に感動し、尊敬できるレベルのもので、身近な人に対してこれほど畏敬の念を覚えたのは久しぶりだ。いや、もしかしたら初めてかも、というくらい。

色々思うことはあったけど、特に「こんなすごい人がいるんだ」と素直に思ったことが大きい。まったく嫉妬したり悔しがったりすることなく、謙虚な気持ちになれた。「自分は自分のできることを少しずつやっていこう」と肩の力が抜けて楽になった。そのくらい、気持ちのいいインパクトがあった。

そんな気持ちになっているところで、寿司をツマミながら読んでいた本の中でこれまた感銘を受ける人物に出会った。多分、素直な気持ちになっていたから余計に心に響いたのだと思う。本は、

世界企業のカリスマたち―CEOの未来戦略 (日経ビジネス人文庫)

世界企業のカリスマたち―CEOの未来戦略 (日経ビジネス人文庫)

もう結構古いもの。

その中で、元ゴールドマン・サックスの会長兼CEO、現ブッシュ政権の財務長官のヘンリー・ポールソンについて以下のようなエピソードが紹介されている。

 彼がゴールドマン・サックスにいなかったのはほんの数年間、ハーバード・ビジネススクールをでてすぐの一九七〇年代初頭に、ペンタゴンホワイトハウスで働いていたあいだだけである。ポールソンと私はダートマス大学の同級生で、当時の彼は、アイビーリーグフットボールチームのラインマンをしていた。私たちはニクソン政権下のホワイトハウスでも同僚で、彼はそこでは若干二六歳にして、ジョン・アーリックマンの率いる内政評議会の議長代理になったのである*1。それから二〇年近く、ときおりすれちがったことを除けば、彼とはずっと会っていなかったが、ポールソンについては忘れられない思い出がある。自分の手がけたことにはすべて勝つという彼の姿勢がその一件にありありと示されていたからだ。
 一九七三年一月のこと。私たちは屋外でパドルテニスの試合をしていた。私は八歳のときからラケット競技になじんでいたが、ポールソンのほうは初心者だった。その試合で、私は彼をコートの右から左へ、後ろから前へ、前から後ろへと、おもしろいように走りまわらせていた。彼は立派な体格をしていたが、さすがに疲れていたようだった。摂氏マイナス十二度という寒さも手伝って、息もつけないありさまだった。私が大勝していると、彼がタイムを要求してきた。かまわないさ、と私は言った。もう切り上げて、つづきはまた今度にしよう。いや、と彼は答えた。ほんの一分もらえればいいんだ。それから彼はコートの端へ行ってかがみこみ、胃のなかのものを吐いた。おいおい、と私は言った。もうなかに入ろう。次の週末にでもできるじゃないか。ポールソンはうずくまり、顔を真っ赤にしていた。しかし答えはない。そのまま長い時間がたったような気がした。すると、彼がゆっくり立ち上がった。オーケー、もういいよ、つづけよう。私は再度、試合の延期を提案してみたが、彼は聞こうとしなかった。これは自殺行為ではないかと心配になり、少し手加減しなければいけないかな、と思った。だが、その考えは長く続かなかった。一分もしないうちに、ポールソンが怒り狂った獣のように襲いかかってきて、私は防戦一方になった。そして、結局、彼は私を打ち負かしたのである。
 それから約二五年後、私はウォール街にある彼のオフィスで、彼と向かいあって座っていた。世界有数の投資銀行のチーフ・エグゼクティブには似つかわしくない、つつましい部屋だった。ポールソンは腕のなかほどまでワイシャツの袖をまくりあげていた。前かがみになって腰掛け、次から次へと言葉を繰りだし、休むことを知らないエネルギーで部屋中をみたした。その姿は実にタフで力強い印象を与えたが、傲慢さはかけらも感じさせなかった。(p.41-42)

ほんと、コメントも不要だと思うけど、世の中にはこんな人がいるのだな、と改めて深い感銘を受けた次第。と同時に、繰り返しになるけど、ムダに肩肘張る必要はないし、虚勢も張る必要もないし、必要以上に野心を抱く必要もなくて、ただただ自分の目指すところに向けて淡々と謙虚に諸々を積み重ねていけばいいや、とポジティブに思わせてもらえた。友人のレポートとこのエピソード。なかなか素敵なcoincidenceに感謝。

*1:ドラッカースクールの新学長も、28歳にしてケネディスクールのassociate deanに就任したというかなり破格の人なのだけれども、ポールソン氏はさらにそのはるか上を行く人のようだ。