象徴天皇制の意味

憲法 第三版

憲法 第三版

第一部 総論


第三章 国民主権の原理


第三章では、前文に明示された憲法の基本原理、国民主権の意味、天皇制、について述べられている。ここでふと考えさせられたのは、「象徴としての天皇」制度には一体どのような意味があるのだろう、ということだった。

芦部教授によれば、「象徴とは、抽象的・無形的・非感覚的なものを具体的・有形的・感覚的なものによって具象化する作用ないしはその媒介物を意味する」(p.45)とのこと。そして、憲法第1条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であ」ると定められている。

まあ、ぶっちゃけよく分からない。
もう少し自分の言葉で掘り下げてみよう。


「日本国の象徴」というのは、日本という国土とそこに住む国民のがかたちづくる価値観や文化を天皇という存在が象徴しているということだろうか。たしかに、天皇陛下ないし皇室の文化が持つ穏やかであたたかい雰囲気は、日本文化を象徴していると言えるのかもしれない。

他方、「日本国民統合」の象徴、というのはどういうことだろうか。多分、1億2000万人を超える日本人が、一つの国家に一つの国の民として生きているというあり方の、精神的紐帯のようなものがあって、それを天皇という生身の存在が具現化しているということだろうか。そうかもしれない。

この場合、「統合」の意味を二つに切り分けて考えてみると、象徴天皇の存在の重みが少し分かるような気がする。二つというのは、「水平的統合」と「垂直的統合」だ。

いずれも僕の勝手な造語に過ぎないけれど、水平的統合というのは、今現在日本の国土上、そしてその他の国に住んでいるすべての「日本人」が、自分は日本人である、と考えるという意味での統合だ。この場合、水平にひろがる広い世界のどこにいても、自分は日本人であり、日本が自分の故国である、と考える意識の「象徴」が天皇である、ということになる。ただ、この場合、その意識の「根拠」は生まれ育った地であるという事実や、両親の国籍、話す言葉、愛着等に求められるはずだ。

他方、垂直的統合というのは、時間軸の中での、歴史の中での国としての統合性だ。つまり、聖徳太子の時代も、戦国時代も、明治も昭和も、すべて含めて平成まで続く「日本」なのだ、という意識の象徴が、基本的に綿々と続いている天皇制の存在なのだということになる。逆に、天皇の存在のゆえに、武家政権が何度も移り変わったり、明治維新があってさらには戦後のGHQによる大規模な改革があったりしても、一つの国としての意識を持っていられるということでもあるのかもしれない。この場合は、「象徴」としてだけでなく、「根拠」としての機能も果たしているのではないだろうか。