死は唐突に -ローマ人の物語(12)

大分前巻から間が開いてしまいましたが、ようやく12巻を読み終わりました。カエサルは遂にルビコン以後長きにわたった内戦を終結させ、たった一人の「終身独裁官」に選ばれ、国家ローマを再生させるべく、政治、行政、金融、司法、地方統治の改革、社会政策、首都再開発その他に着手します。軍事・政治の双方に長けた偉大な人間の姿が浮かび上がり圧倒されることしきりです。しかし、、、

それから一ヶ月も過ぎない三月十五日、元老院の議場で、カエサルは殺された。(p.216)
そうです。圧倒的な人間の姿が描かれる中、本当に唐突に、読み手はカエサルの死に直面させられます。第13巻の冒頭で著者は、

何事も常の日と同じであった日に、陰謀者たち以外は誰一人として予想していなかった中で、突如起こった惨事であったのだ。劇的とは、非劇的に進行してきたのが急変するからこそ、ドラマティックなのである。(p.21-22)
と書かれていますが、まさにこのカエサルの死にいたる記述こそが劇的で、思わず息を呑んでしまいました。それほど早くに彼の死に直面させられるとはまったく予想していなかったわけです。

カエサルの死に触れて思わずにはいられなかったこと。それは、生とは何か。生きるとはどういうことなのか。この世に生を受け、死んでいくことにどんな意味があるのか。ということでした。

カエサルは、確かに女たらしで(「公認」の愛人がたくさんいました)、壮年に至るまで借金王で出世もせず、という人でしたが、軍事的には古今まれに見る天才であり、政治・経済においても大きな才能を持った人でした。何より、統治範囲や覇権の拡大等によって機能不全に陥っていた国家ローマを再構築するという大きな志を持ち、かつ徐々に実現しつつあった人でした。また、政治闘争にありがちな、投降した敵対者を殺害し、排除するということをせず、常に「寛容」の精神を持ち続けた巨大な器量の持主でもありました。

しかし、そのような偉大な人であってもあっさりと側近であった人間を数名含む暗殺者によって殺されてしまう。

彼の死に触れて思い出したのは、やはり偉大で愛すべき人間にして同様に暗殺によって信じられないくらいあっさりと命を落としてしまった坂本龍馬でした。

彼らほど歴史に大をなし、また多くの人から愛された人たちにさえ、あまりにもあっさりと人生の幕切れが訪れるというのはなかなかに考えさせられることではあります。

彼らに比べればちっぽけな存在である自分にも、あまりにも突然に死が訪れる可能性は否定できません。暗殺されるほどの器量はありませんが、明日学校に行く途中で交通事故に遭ったりする可能性もあるわけです。

誰しもいつ死を迎えるか分からない。

ではこの人生を使って何をするのか。

ローマ人の物語文庫版第12巻によって、以前紹介した『楽毅』を読んだときと同じ問いを喚起されたのでした。しっかり日々考えていきたいと思います。

現在第13巻を読みつつありますが、カエサルが暗殺されるに至った道筋が少しずつ明らかになりつつあります。また、彼の「後継者」であり後に初代ローマ帝国皇帝となる青年オクタヴィアヌスも登場し、ローマ帝国誕生へのドラマが加速しつつあります。カエサルを「失って」少し寂しくはありますが、有り難いことにローマ人の物語はまだまだ見せ場盛りだくさんで続くようです。