ピーター・ドラッカー

ドラッカースクールの日本人向けサイト用に書いた紹介文ですが、折角なのでこちらでも紹介します。

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 ピーター・F・ドラッカー(1909-2005)はしばしば、「マネジメントの先覚者」「マネジメントの巨人」「マネジメントの父」などと呼ばれています。トム・ピーターズによれば、「ドラッカー以前には、本当の意味で「マネジメントの原理を打ち立てた」人物は存在しなかった」とのこと。実際、1943年にドラッカーGMから依頼を受けてGMのマネジメントに関する研究を始めた頃には、工場運営の具体策、優秀なセールスマンになる方法、財務・経理等の個別分野を除いて、「マネジメント」(今で言うgeneral management)の概念は明確に存在していなかったと言われています。


 彼の業績を改めて具体的に追っていくと、その影響力の大きさがよく分かります。マネジメントを初めて体系化して示しただけでなく、分権化、目標管理、民営化、顧客第一主義、知識労働者など、現代では当たり前に流通している数々のコンセプトを発案したのもドラッカーであり、共著、対談集を含めると著書は100冊を超えると言われています。また、その影響力は理論面にとどまらず、「産業界に最も影響力の大きい経営思想家」とも呼ばれていました。例えば、1951年に始まったコンサルタントとしてのGEとの関係は、ウェルチをして「ナンバー1、ナンバー2戦略はピーターからもらったアイデアだ」と言わしめるほどの影響を与えています。また、マッキンゼーにmanagement consultingというコンセプトを提示したのは彼であるという説もあります。単なる理論家ではなく、常に実践家であることを自身に課していた彼は、商社の書記見習い、保険会社勤務、投資銀行勤務、新聞社特派員、投資信託会社顧問、大学非常勤講師、教授、政府のスペシャル・アドバイザー、コンサルタント等々様々な職業を遍歴しており、マネジメントの教授業を主体とするようになってからも、実践の重要性を重んじ、「月に三日間を超えてコンサルティング業務を行なってはならない」という規定があることからハーバードからの誘いを4度(2回はHBS、2回はケネディスクール)も断ったそうです。


 このように、ビジネス、マネジメントの世界で大きな地歩を残したドラッカーですが、本質的には、また本人の志向的にも、「経営学者」というよりも、「社会学者」というべき人であったのかもしれません。東西冷戦の終結、高齢化問題、知識経済の到来等をいち早く洞察し、また、そもそも最初の著書『「経済人」の終わり』はファシズムの起源を分析したものであったなど、極めて広い社会的視野を有しています。さらに、日本画をこよなく愛し、日本で彼の所蔵品の個展が開かれたり、Claremont Collegesの一角、Pomona Collegeでは東洋美術講座の講師を7年間も務めていたりもしていたようです。


 ドラッカーは残念ながら2005年11月に亡くなってしまいましたが、彼の名を冠したドラッカー・スクールでは、引き続きリーダーに求められるジェネラル・マネジメントに焦点を置いた教育が行なわれており、彼の精神を継承し続けていると言えるでしょう。


(参考文献)
○DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー 2003年11月号
ピーター・ドラッカードラッカー 20世紀を生きて』(日本経済新聞社, 2005年)