リリー・フランキー

筆者のことはよく知らないのだけれど、非常にいい言葉を見つけたので引用しておきたい。
がんばっているすべての友だちと、もう少しストレッチさせたい自分自身に向けて。

 無理をしない人間は、もうその人生のほとんどを終わりに向けてしか生きてはいない。
 いや、死ぬ準備を延々と時間をかけて過ごしていると言わざるを得ない。
 「無理をしないでね」と誰かに声をかけていいのは家族という、生きてさえいてくれればとにかくいいという究極の間柄にある者たちだけで、通常、仕事相手や友人、その他、社会で袖擦り合う者同士は「無理してね」と叱咤激励することが正しいマナーである。
 無理くらいしてほしい。無理をすることが唯一、人が凡庸な人生を美しく生きる生甲斐なのであり、物事の精度を高め、ブレイク・オン・スルー・トゥ・ジ・アザーサイドに行けるただひとつのチケットである。
 ところが、無理をしたくても、その無理を通せぬ対象が見つからないというのが現代人の問題であり、悲劇なのである。
 「生き甲斐」や「夢」「目標」という言葉に縛られて、人は立ち止まるが、そんな言葉のワナに翻弄対々させられていると、あっという間に時は流れ、いつしか受け取れない年金を指折り数える季節を迎えてしまう。
 「夢」なんぞはどうでもいい。ひとまずは「無理」をおすすめしたい。
(架空の料理、空想の食卓 第26回「不死の料理」*1より)

*1:料理王国」2006年7月号p.2