戦争論2

新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論 (2)

新ゴーマニズム宣言SPECIAL戦争論 (2)

小林よしのり戦争論の第二弾。
冒頭の第一章をのぞいて、やはりきわめて合理的な「戦争論」であると思う。
本書は911事件をきっかけとして、前著の内容をさらに掘り下げたor違う角度から論じた内容になっている。


主たる内容は、以下の2つ。
①教科書問題、靖国問題、そして従軍慰安婦問題、南京大虐殺までもがいかに戦後の国内メディアによって創りあげられてきたかということ
②日本がいかにアメリカとの戦争に突入していったかということ


戦争論1と合わせて本書の①を読むと、もちろん別途裏は取らなければいけないにしても、もはや従軍慰安婦南京大虐殺という虚構を信じる気はさらさらなくなる。教科書問題、靖国問題も合わせて、これほど自虐的で欺瞞に満ちた、壮大な国際的な虚構が形成され、維持・拡大されてきた戦後日本のあり方というのは本当に寒々としたものだと思わずにはいられない。どういった形によるべきかはまだ分からないけれど、これらの問題の「清算」を含めた歴史認識の再構築は我々世代に課せられた最重要課題の一つだと強く思う。私たち日本人1人1人にとっても、日本という国にとっても。


あの戦争は間違いなく侵略戦争ではあった。
これは否定できない。
否定してはいけないだろう。

しかし、当時はそれが「悪」とされない国際社会であったのだということ、そうしなければ日本の生きる道はないと信じるに足る状況であったということ、それでも欧米流の植民地支配ではない、占領地の文化の尊重と近代化に尽くす統治方式を採用したこと、についても思いを馳せてみなければ、形式的であったにせよ当時の国民が総意として行なった選択の意味を正しく理解することはできないだろう。正しく理解できなければ、「ありえないことをやっちゃったどうしようもない国だったんだ。すみません。」みたいな卑屈な気持ちや、先祖に対する侮蔑の思いを拭えないだろう。

また、戦争に伴う「悲惨さ」が政治的な理由によって誇張され、日本人のアイデンティティ国益を大きく棄損しているということ。これを理解しておかなければ、「僕らの先祖は恥ずかしくてたまらないような野蛮で酷烈なことをやってきたんだ」などといった事実に基づかない自己卑下の気持ちと歴史の断絶を背負うことになるし、国際政治においても翻弄され続けることになる。

さらに、結果論であったにせよ、ある時点で歴史を支配し、揺るがないものと思われていた「西洋」優位の世界という圧倒的な構造をひっくり返したのも我々の先祖であったということも理解すべきではないだろうか。もしそれがなければ、今の世界は今の世界のようでありえただろうか。


要するに、侵略戦争」を行なったという事実は厳粛に受けとめ、二度と惨禍を繰り返さないという決意は胸に抱きながらも、根拠のない誹謗中傷に対しては静かに、しかし決然として反論し、戦争の背景にはやむをえない事情があったということを理解し、また、歴史的なインパクトを与える偉業を為したという側面があることも心に深く蔵しながら、日本民族としての誇りを失わない、そんな新しい日本人のあり方を模索していきたいと思う今日この頃です。