静かな危機もしくは史上最大の嵐

フラット化する世界(下)

フラット化する世界(下)

第二部 アメリカとフラット化する世界


第8章 静かな危機−科学教育にひそむ恥ずかしい秘密


本章では、アメリカの抱える科学教育に関する6つの「恥ずかしい秘密」、言い換えれば危機の源泉について論じられている。相当部分、今の日本にも当てはまることだと言えるのではないか。


○第一の秘密:数の不均衡
・「科学・工学(S&E)の教育を必要とする仕事の数は増えているが、その反面、科学者やエンジニアになる教育を受けている国民の数に深刻な減少が見られる」
・世界のフラット化によって、優秀な外国人もアメリカに移住しなくとも世界レベルの企業で世界レベルの仕事が可能になり、移住のインセンティブが大幅に低下した。また、911事件以降、ビザ取得手続きも煩雑になり、結果としてS&E分野における外国人学生の比率は大幅に低下している。他方で、ヨーロッパ数カ国では外国からの大学入学者が急増している。


○第二の秘密:教育の欠陥
・教育の内容も問題である。S&E分野の学習内容が低レベル化し、また、若者に同分野に関心を喚起させるような教育も行われていない。
・大卒者(中退者除く)の一般的な読み書き能力も1990年代から一貫して急激に低下している。


○第三の秘密:成功願望の欠如
・致命的なことに、学生や労働者自身にも成功願望やハングリー精神が欠如している。
・例えば、今やアウトソーシングは低コストと効率のために行われるのではない。アウトソーシングによって、「品質と生産性が格段に向上する」のだ。
・実際のところ、ハイエンドの仕事をし、高級を得るためには、ハイレベルな教育に基づく高い能力が必要であるが、それが自分に欠如していることを認識していないアメリカ人が多い。
・自国の天然資源が少ないほど、その国の人はフラットな世界で成功する可能性が高い。国民のエネルギー、起業家精神、想像力、知能だけが競争力になるからだ。


○第四の秘密:貧困層の教育の欠陥
・特に、貧困層の教育問題は深刻である。これは、1930年頃に定まった地方の教育委員会にそれぞれの学校制度の構築を委任する公立学校制度の問題によるところが大である。

アメリカが長年この制度でなんとかやってこれたことを、タッカーは次のように説明する。「1930年代初頭に大量生産経済が支配的になった時代、アメリカが重要なことを効果的にやっていたからだ。具体的にいうと、大量生産にたずさわる労働者にそれ相応の教育をほどこす一方で、イノベーションできるエリートに金を注ぎ込んでいた」つまり、エリート向けの私立学校か、裕福な地域の公立学校に通えば、イノベーションと創造性を強化する教育が受けられるが、最悪の公立学校はもっぱら生計を立てるのに必要な最低限のことだけを教える。ハイスクールを出れば、まっとうな給料がもらえる簡単な大量生産の仕事がいっぱい待ちかまえている時代は、それで何もかも申し分なかった。
あいにく、世界がフラット化するにつれて、大量生産の仕事はどんどんオートメーション化されるか、アウトソーシングされるようになった。知識があまりない人間には、まともな仕事が回ってこないようになった。・・・だから、いまは予算や有能な職員がとぼしいハイスクールを出ても、先行きは暗い。・・・「だから、われわれは若者すべてを、きわめて高い水準まで教育する方策を見つけなければならない。若者のスキルをアップグレードできなければ、スキルの低い者は賃金を下げることによって競争力を維持しなければならなくなる」


○第五の秘密:予算の欠陥
・「物理学・数学・工学の研究への政府の資金提供は、1970年から2004年にかけて、対GDP比で37パーセント減少している」。ブッシュ政権になってからこの傾向は特に顕著である。
・その影響は、アメリカ人の書いた科学論文の割合の低下、特許におけるシェアの低下、という形で既にはっきりと現われている。


○第六の秘密:インフラの欠陥
・フラット化した世界における経済の生産性向上とイノベーションの不可欠な基盤となるブロードバンド・インフラが、アメリカの場合「先進国で最も遅く、料金が高く、信頼性」が低い。特に、ブッシュ政権になってからの3年間で大きく凋落した。


まとめるとこうなる。

これがシャリー・アン・ジャクソンのいう史上最大の嵐だ−以前とは違い、アメリカは優秀な人材を海外から流入させてはいない。アメリカの一流企業は、膨張する海外市場でのビジネスチャンスにますます軸足を移すようになっている。アメリカは、その空隙を埋めるような職業教育を若者にほどこしていない。嵐がやってきて通り過ぎたときには、インテルのようなアメリカ企業は、ロケットみたいにアメリカの大地から飛び出してゆくだろう。アメリカ上空でぐずぐずしてはいない。ニューヨーク証券取引所に上場していて、私書箱もそこにあるから、アメリカ企業だと考えるだろうが、現実にはフラットな世界の企業なのだ。」

最後に、教育論にとって重要と思われるお話を引用しておきたい。

アメリカの教育には有利な点がある−丸暗記ではなく創造性に重点を置いている−という通念について、ビル・ゲイツにたずねると、言下に否定された。中国や日本の丸暗記中心の学習からは、アメリカと競争できるような革新者がおおぜい生まれることはないという考えは、嘆かわしい間違いだ、とゲイツはいう。「掛け算ができなくてソフトウェアが作れるなどという人間に会ったことはない・・・・・・世界一創造的なテレビゲームはどこのものか?日本だ!丸暗記人間なんてどこにいるのかね・・・・・・わが社の優秀なソフトウェア制作者の何人かは日本人だ。秩序立てて物事を理解していないと、それより進んだ物事を作ることはできない」

本書では、これに加えて、厳格なS&E教育を行っている中国でいかに世界市場を引っ張るようなイノベーションが起こりつつあるかという具体例が示されている。

ちなみに、ゲイツの褒めている日本人の創造性は、彼の言うとおり暗記型教育の賜物なのだろうか?それとも撤回された「ゆとり教育」の賜物だったのだろうか?