ヨーロッパの混合経済の誕生2(西ドイツ、イタリア)

市場対国家―世界を作り変える歴史的攻防〈上巻〉

市場対国家―世界を作り変える歴史的攻防〈上巻〉

第1章 栄光の30年間 ヨーロッパの混合経済


西ドイツ
・大企業がヒトラー政権に協力していたため、資本主義が最も信用されていなかった
・「chiken feed事件」とエアハルトの登場(英米占領地域の経済管理担当)
・「新自由主義」(市場の力と競争に基づく経済、but政府が強い力を持ち、社会の規範を維持しなければならない)=「社会的市場経済
・占領軍による抜き打ち的な通貨改革断行
・エアハルトによる意趣返し:価格管理の無断撤廃
ベルリン封鎖NATO発足、ドイツ連邦共和国発足(1949年5月)
・一票差でアデナウアー政権成立
 →僅差で計画経済ではなく社会的市場経済が選択された
 →エアハルトは経済相に
・ドイツでは、政府、経営、労働三者の協力体制で経済が運営された(協調主義制度)。英仏の混合経済とは決定的な違いがあった。


イタリア
ムッソリーニファシスト政権から混合経済を受け継いだ。具体的には、産業復興公社(IRI)の継承。
・ただし、政権が弱体で十分な力を行使できず、IRI傘下企業の経営者も「ぬるま湯」体質だった。
・新たにイタリア経済の牽引役となったのが、国有企業として新設された石油会社、炭化水素公社(ENI)
 →エンリコ・マッテーイの指導の下、1950年代後半には、36の子会社を持つコングロマリットとなった。


ケインズの影響
・人となり
・経歴
・理論の概要と混合経済体制に与えた影響


欧州連合への第一歩
シューマン計画(大部分、モネの構想による)
欧州経済共同体
・欧州各国の結束をもたらした3つの要因
 ①混合経済を目指す合意
 ②ドイツ問題解決という共通目標
 ③ソ連圏の脅威


自由貿易体制への第一歩
・国際貿易機関(ITO)の失敗
GATT関税および貿易に関する一般協定の成立(1948年)


○混合経済の成功
朝鮮戦争に伴う軍備拡張が経済成長を刺激
ソ連も経済開発に成功し、57年には最初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功
・イギリスの1950年代と60年代は「福祉国家の黄金時代」
・フランスでは「栄光の30年間」。
 →45年から69年の平均失業率は1.3%!!
・西ドイツは「経済の奇跡」の国に
 →70年に失業者が事実上いなくなり、失業率はわずか0.5%に!!