ヨーロッパの混合経済の誕生2(西ドイツ、イタリア)
- 作者: ダニエル・A.ヤーギン,ジョゼフスタニスロー,Daniel A. Yergin,Joseph Stanislaw,山岡洋一
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
- 発売日: 1998/11
- メディア: 単行本
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第1章 栄光の30年間 ヨーロッパの混合経済
○西ドイツ
・大企業がヒトラー政権に協力していたため、資本主義が最も信用されていなかった
・「chiken feed事件」とエアハルトの登場(英米占領地域の経済管理担当)
・「新自由主義」(市場の力と競争に基づく経済、but政府が強い力を持ち、社会の規範を維持しなければならない)=「社会的市場経済」
・占領軍による抜き打ち的な通貨改革断行
・エアハルトによる意趣返し:価格管理の無断撤廃
・ベルリン封鎖、NATO発足、ドイツ連邦共和国発足(1949年5月)
・一票差でアデナウアー政権成立
→僅差で計画経済ではなく社会的市場経済が選択された
→エアハルトは経済相に
・ドイツでは、政府、経営、労働三者の協力体制で経済が運営された(協調主義制度)。英仏の混合経済とは決定的な違いがあった。
○イタリア
・ムッソリーニのファシスト政権から混合経済を受け継いだ。具体的には、産業復興公社(IRI)の継承。
・ただし、政権が弱体で十分な力を行使できず、IRI傘下企業の経営者も「ぬるま湯」体質だった。
・新たにイタリア経済の牽引役となったのが、国有企業として新設された石油会社、炭化水素公社(ENI)。
→エンリコ・マッテーイの指導の下、1950年代後半には、36の子会社を持つコングロマリットとなった。
○ケインズの影響
・人となり
・経歴
・理論の概要と混合経済体制に与えた影響
○欧州連合への第一歩
・シューマン計画(大部分、モネの構想による)
・欧州経済共同体
・欧州各国の結束をもたらした3つの要因
①混合経済を目指す合意
②ドイツ問題解決という共通目標
③ソ連圏の脅威
○自由貿易体制への第一歩
・国際貿易機関(ITO)の失敗
・GATT(関税および貿易に関する一般協定)の成立(1948年)
○混合経済の成功
・朝鮮戦争に伴う軍備拡張が経済成長を刺激
・ソ連も経済開発に成功し、57年には最初の人工衛星スプートニクの打ち上げに成功
・イギリスの1950年代と60年代は「福祉国家の黄金時代」
・フランスでは「栄光の30年間」。
→45年から69年の平均失業率は1.3%!!
・西ドイツは「経済の奇跡」の国に
→70年に失業者が事実上いなくなり、失業率はわずか0.5%に!!