ヨーロッパの混合経済の誕生1(イギリス、フランス)
- 作者: ダニエル・A.ヤーギン,ジョゼフスタニスロー,Daniel A. Yergin,Joseph Stanislaw,山岡洋一
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
- 発売日: 1998/11
- メディア: 単行本
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第1章 栄光の30年間 ヨーロッパの混合経済
○イギリス労働党政権の誕生(1945年7月)
・クレメント・アトリー首相
・労働党が「混合経済」(財政政策+国有セクターによる強力な介入)モデルの確立
・その後、世界全体に広がり、1970年代に最高潮に
○背景
・戦後の荒廃と共産主義勢力の脅威
・民間セクターの機能不全
・それまで数十年間の歴史(資本主義に対する不信@ヨーロッパ)
・ソ連経済への高い評価@西ヨーロッパ
○イギリス
・イギリス流の社会主義(ジョージ・バーナード・ショー、フェビアン協会)
・戦時経済を経て政府の経済管理に対する信頼が蓄積された
・伝統的な自由主義経済は敬遠された
・ベバレッジ報告(大戦中に発刊。欠乏、疫病、無知、不潔、失業を根絶する社会政策)が青写真に
・福祉国家政策(新設の国民医療制度の下で無料の医療サービス、年金の新制度、教育と住宅の改善)
・国有化(石炭、鉄鋼、鉄道、電力・水道、国際電気通信)
これらの産業は民間企業が担っているために、投資が不足し、効率性が低く、規模が不足している。国有化すれば、資源を動員し、新技術を採用して、はるかに効率的になり、経済開発と成長、完全雇用、公平と公正という国の目標を達成できるようになる。経済全体の牽引役になり、現代化と所得の平等な再分配を実現できる。そう主張されていた。
・これら公社に対する中央の計画管理という目標は放棄されたが、福祉国家政策ではアトリー政権は成果を上げた。
○フランス
・イギリスと同様、資本主義に対する不信
・銀行、電力、ガス、石炭などの産業を国有化
・ルノーやマスコミ関連の大手企業など、ビシー傀儡政権に協力した企業も接収
・労働組合を通じて共産党が力を持ちすぎたことから、1947年に国有化の動きは止まるが、呼吸企業の比率は大きく、フランスもまた混合経済へ転換した。
・自由主義経済と社会主義の中間の道を強く意識した「誘導的計画」路線
・「ヨーロッパの父」ジャン・モネが立役者(「モネ計画」)
アメリカが「民主主義の武器庫」になるという言葉を考えたのもモネだ。ロースベルト大統領の側近はモネに深く感謝し、二度とその表現を使わないように頼んだ。歴史に残る名言として、大統領が使えるようにするためである。
・アメリカから援助を受けるためにも計画が必要だった。
「リベラル派になるべきだ。経済統制派になるべきなのだ。資本主義に戻ってもいいし、社会主義を目指してもいい。・・・・・・どちらの道を選ぶとしても、政府が・・・・・・しっかりした計画を立て、労働時間で算出したコストを国際水準並みにするよう、経済を立て直す意思であることを示さなければならない。・・・・・・計画がたしかに真剣なものであれば、アメリカは援助を行なう。フランスが繁栄することが、平和を維持するために必要だからだ。」
・モネ計画は、特に基幹産業の再建に焦点を当てていた。すべての目標を達成することはできなかったが、「この計画によって、フランスは50年代の経済の奇跡への道を歩むことができた」。