ローマ人の物語21 危機と克服[上]

ローマ人の物語 (21) 危機と克服(上) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (21) 危機と克服(上) (新潮文庫)

やっぱり「である」調は肌に合わないので、「ですます」調に戻します(笑)


前巻でネロが自死した後、カエサルの後を継いだアウグストゥスの開いた「ユリウス・クラウディウス朝」はついに崩壊しました。これまで続いてきた「血統」による統治者の選択が不可能な事態に陥り、いよいよ完全に実力主義の時代に突入します。しかし、大変残念なことに、当時のローマには優れた後継者が存在しないのでした。その結果、短期間ではありますが、しばらくの間、ローマは混迷の時を迎えます。


ネロを死に追いやったのは、次に皇帝となったガルバの影響力でした。スペイン駐屯の軍団兵から皇帝に祭り上げられた彼がローマに向けて進軍を開始するや、元老院も彼を支持し、ローマ市民もネロを見捨て、追い詰められたネロは自死するほかありませんでした。しかし、属州の総督としては有能であったとされるガルバも、皇帝としてはまったく無能でした。ローマへの進軍もたらたらと続ける、新皇帝即位に際しての慣習となっていた軍団兵へのボーナス支給も行わず、人心収攬には意を用いない、実力者に配慮せず、協力者人事に失敗する、財政再建策においても人々の失笑を買う、等々、数多くの失策を犯します。結局、自らライン川の防衛の重責を担う低地ゲルマニア軍の司令官に送り出したヴィテリウスが皇帝に名乗りを上げるという形で麾下の最強の軍団兵と共に反旗を翻します。


その間も失策を繰り返すガルバはついに首都の近衛軍団や元老院にも見切りを付けられ、即位前からガルバの有力な支持者であったオトーの影響力の下、ガルバは暗殺されます。そして、わずか半年余りのガルバの在位の後、オトーが皇帝に即位します。実は、オトーは前巻でネロから妻を狙われ、スペインに飛ばされた、かつてのネロの遊び仲間でした。スペインに飛ばされても腐らず、属州総督として善政を重ね、信望を高めていたのでした。


新皇帝オトーにはのんびりしている暇はありません。ラインからヴィテリウスが最強軍団を率いて南下してくるからです。もはや、面倒くさくなったので細かくは記述しませんが、二人の戦いは極めて粗雑なもので、二人の器の狭量さを端的に示すようなものでした。ローマのためではなく、自分のために戦う立場にある兵士たちを前線で鼓舞することもなく、後方の町で勝利を待つオトー、部下の将二人に先行させながら本人はゆっくり南下してくるヴィテリウス。勝ったのはヴィテリウス側でしたが、その戦後処理も極めて粗雑で、オトー側についた軍団兵の多大なる怨恨を買います。


こうして次の皇帝となったヴィテリウスでしたが、再びの内戦に破れその地位を追われるまでの間、まともに政治は行わず、肥え太っていただけでした。在位期間はオトーが3ヶ月、ヴィテリウスは8ヶ月に過ぎませんでした。


以上3人のお粗末な「皇帝」たちに比べ、次のヴェスパシアヌスはまったく器が違いました。筆者の言葉をそのまま引用しましょう。

ガルバ、オトー、ヴィテリウスと書き続いてきてヴェスパシアヌスを語る段になると、無能な将の指揮する戦闘を叙述するのと、名将が指揮する戦闘を叙述する場合のちがいにも似た感をいだかずにはいられない。前三者は、俗な言い方をすれば、出たとこ勝負に交き合うしんどさがある。

ヴェスパシアヌスは、「出たとこ勝負」どころか、シリア総督ムキアヌスエジプト長官アレクサンドロスという強力なパートナーと連帯を組み、周到な準備を進めながら、それでいて不測の事態に巧妙に対処しながら、あっさりとヴィテリウスを打倒してしまいます。ガルバらのダメダメっぷりを見た後だけに、この3人の周到さは実に爽快です。


ここまでのプロセスでは、ヴェスパシアヌスの右腕でもあり頭脳でもあるムキアヌスの功によるところが圧倒的に大きく、まだヴェスパシアヌス自身の実力は発揮されていません。筆者によれば、彼は「実に健全な常識の人」であり、新しいシステムを創造するというカエサルアウグストゥスのような天才にしか出来ない仕事ではなく、既製システムの再建という仕事にはうってつけの人であったということになります。


さて、実際のところはどうでしょうか。それは次巻以降で明らかになるでしょう。