代表的日本人

代表的日本人 (岩波文庫)

代表的日本人 (岩波文庫)

内村鑑三が日本人とは何かを世界に向けて示すために英語で記した書。彼の眼から見た「代表的日本人」として、西郷隆盛上杉鷹山二宮尊徳中江藤樹日蓮の5名が挙げられている。


最初の3名は非常に分かりやすい。学ぶところが非常に多い。彼らに共通するのは、「無私、徹底した誠実さ」と「合理性」だ。西郷隆盛は、「敬天愛人」という有名な言葉をはじめとして、無私と誠実さの塊のようなイメージが形成されている。以下のような言葉こそ彼の真骨頂だろう。

命も要らず、名も要らず、位も要らず、金も要らず、という人こそもっとも扱いにくい人である。だが、このような人こそ、人生の困難を共にすることのできる人物である。またこのような人こそ、国家に偉大な貢献をすることのできる人物である。

本書ではあまり触れられていないが、政治家として、司令官としての合理性が卓越していたことも明らかだろう(どう評価していいのか未だによく分からない晩年は除いて)。


上杉鷹山もまた、無私の境地と合理的な思考能力を兼ね備えた偉人だった。彼は17歳の時に米沢藩主となったが、その際、生涯にわたって自らを磨き、善政に尽くすことを春日明神に誓い、「これを今後堅く守ることを約束する。もし怠るときには、ただちに神罰を下し、家運を永代にわたり消失されんことを。」と末尾に記した誓文を献じている。彼が藩主となったとき、藩の財政は壊滅的な状況にあったが、徹底した緊縮財政、実力による人材の登用と適材適所による配置、守旧派に対する断固とした処置、戦略的な産業政策の実施、大がかりなインフラ整備、藩校の設置による教育の拡充、医学校の設置と西洋医学の積極的導入等、今日の眼から見ても合理的に見える策を投じ、見事に再建を果している。


二宮尊徳について、本書での記述はとかく「無私」と「誠実さ」に重きが置かれており、あたかも彼の「仁術」(by内村鑑三)によって善政が成ったかのような印象を受けてしまうが、そしてそれも確かな部分があるのだと思われるが、しかし、やはり彼が示した類い希な「合理性」も見逃してはならない。小田原藩主から依頼された廃村の立て直しにおいては、まず徹底した現地査察から開始し、税(年貢)の減免措置、1人1人の働きをつぶさに観察した上での業績に即した報酬の付与、さらに、本書では挙げられていないが、『「個」を見つめるダイアローグ』で村上龍氏が言及していた飢饉に際しての「ファンド」の組成と受難の程度に応じた救済策の実施など、これまた現代に通じる合理的な施策を打ち出している。


この三者を眺めていると、『Good to Great』のLevel 5 Leadershipを思い出す。古今を問わず、洋の東西に関わらず、偉大なリーダーの備えるべき要件として、「無私」や「誠実さ」といった要素は欠くべからざる部分なのかもしれない。身につけるのは相当に困難ではあるけれど。

ちなみに、『Good to Great』と言えば、西郷隆盛がこんなことを言っている。First Who... Then Whatを彷彿とさせる。

どんなに方法や制度のことを論じようとも、それを動かす人がいなければ駄目である。まず人物、次が手段のはたらきである。人物こそ第一の宝であり、我々はみな人物になるよう心がけなくてはならない。


さて、四人目の近江聖人こと中江藤樹は少し前三者とは趣が違う。彼は哲学者として、教育家として田舎の片隅で生涯を終えた人だ。とはいえ、その教育を受けた人々が住まう村が古今に絶する治安に優れた村となり、その評判が日本中に伝わり、遠く岡山藩から弟子となる熊沢蕃山がやって来るのみならず、藩主池田光政までやって来るぐらいだからただごとではない。現代のイメージで言えば、ほとんど知られていないような小さな国の小さな町に住む賢人の影響力が世界中に伝えられ、様々な国の大臣が彼を訪れ「私の顧問になってくれませんか?」とお願いするようなものかもしれない。よほど彼に真実の人徳と、優れた識見が備わっていたからだろう。


というわけで、以上四人の人物が「代表的日本人」として描かれるのはよく分かる。彼らには「無私・誠実」という行き方が共通しており、前三者には極めて明快な「合理性」が宿ってもいるからだ。サムライの子孫として尊敬するに値する偉人たちと言っていいだろう。


僕にはよく分からないのが最後の日蓮だ。彼の思想は、他の仏教すべてを排斥する極端に独善的なものであって、「誠実さ」とはかけ離れたものではなかったか。世を救済するため、という一見「無私」に見える情熱と献身も、すべては自分の中にある独善に縛られたものに過ぎなかったと言えはしないか。僕個人の考えとしては、日本人の、日本の最大の美点であり文明の特質、強みであるところの要素に、「柔軟性」と「寛容」があると思っている。僕らは、僕らの国は、様々な価値観や思考、宗教、技術、生活様式等を長い歴史のすべての局面において柔らかく、しなやかに受容してきた。このような日本人ないし日本という文明のあり方と日蓮のあり方は、むしろ相反するのではないかと個人的には思う。彼をして「代表的日本人」と言われることには抵抗を感じずにはいられない。

ちなみに、筆者の内村鑑三はこの点について以下のように述べている。これを引用して本記事を終わりにしよう。「勇敢」であったことについては僕も異論はない。

しかし私は、たとえただ一人であろうとも、この人物のために、必要なら私の名誉をかけてもよい覚悟であります。日蓮の教えの多くは、今日の批評によく堪えるものではないことを認めます。日蓮の論法は粗雑であり、語調全体も異様です。日蓮はたしかに、一方にのみかたよって突出した、バランスを欠く人物でした。だが、もし日蓮から、その誤った知識、生来の気質、時代と環境がもたらした多くのものを取り去ったとしましょう。そこに残るのは、しんそこ誠実な人間、もっとも正直な人間、日本人のなかで、このうえなく勇敢な人間であります。偽善者なら二五年以上も偽善をつづけることはできません。また、そんな偽善者のために生命を投げ出す何千人もの信徒をもつことはできません。