これからの日本という国家のあり方 -プロになるための経済学的思考法(3)-

プロになるための経済学的思考法

プロになるための経済学的思考法

(1) 小さな政府という唯一の選択肢

私たちは刻一刻と近づきつつある崩壊の日に備え、新しい日本という国家のあり方を考え直さなければならない。そのためには、まずは国家の役割について突き詰めて考えてみる必要がある。国家の役割とは、基本的人権を守り、国民の最低限の文化的生活を保障することであるが、そのミニマム・スタンダードの解釈については古くから議論が繰り返されてきた。すなわち、「大きな政府論」と「小さな政府論」である。資源の配分の仕方には2つの方法があり、一つがマーケット・メカニズム=市場、もう一つが政治であるが、厳密にはこの2つの方法しかない。そして、小さな政府論は資源配分を最大限市場に任せようというものであり、大きな政府論は政治ないし政府機構の大きな役割を期待するものである。マーケット・メカニズムについては、我が国では「強者の論理」であるとして嫌うナイーブな議論が多いが、しかし、マーケットほど効率的に膨大な人々の需要と供給を調整できるメカニズムは存在しないのである。マーケットを否定することは、独裁者や官僚に「すべて判断して下さい」とお願いするようなものだ。それが機能し得ないことは計画経済の破綻からも明らかである。ゆえに、国家は可能な限りスリムにし、政治システムに委ねる部分は最小限にとどめ、それ以外はマーケット・メカニズムに任せる「小さな政府」の仕組を早期に作り上げる必要がある。しかし、既に見てきたように、実は現在の我が国が直面しつつある経済状況の下では大きな政府という選択肢は存在しないということを私たち1人1人が銘記しなければならない。


(2) 大学の改革と年金の大胆な見直し

道路公団然り、郵政民営化然り、「民営化」とは、このマーケット・メカニズムを上手に使い、資源配分の効率性を飛躍的に高めるための方法である。以下、筆者は2つの分野において具体的な提言を行なっている。

例えばアメリカと比較した場合、日本の大学の競争力は相当に低い。アメリカではマーケット・メカニズム的な競争原理が強く働く構造になっている。例えば、大学に対する国の財政資金の配分は、第三者評価機関の判断に基づいて、研究のパフォーマンスに応じて行なわれる仕組なっている。そのため各大学は必死に競争する。他方、日本の国立大学では、どの大学であろうと、どんな業績であろうと、年齢によって給与が決められている。予算も研究の内容ではなく、講座数や学生数で決定する。私立大学の多くも補助金制度に縛られ、硬直化している。筆者は、規制を撤廃し、すべての国立大学を民営化すべきだという。そして、基礎研究などマーケット・メカニズムが働かない分野に対する国の補助は維持しながら、アメリカのような競争的システムを導入することによって、日本の大学のレベルが飛躍的に向上すると予測する。

また、現行の年金制度にはシステム的な問題があると指摘する。すなわち、賦課方式に重く頼った制度は、少子高齢化の進む中で年金財政を悪化させ、さらに未納問題がこれに拍車をかける。筆者は、国民年金の税金化=消費税率を引き上げ、国民年金の財源をまかなうことを提案する。これは大方の印象とは異なり、実は低所得者により有利な制度改革である。すなわち、現行制度では年収の多寡に関わらず一律1万3300円の国民年金保険料を毎月納めなければならないが、消費税式の下では、個人の消費額が年収に比例すると仮定すれば、高所得者ほど多くの保険料を払うという結果になる。また、現行方式のような「うっかり未納」が起こることもない。加えて筆者は、厚生年金については、直ちに民営化の決断をすべきであるという。その理由として第一に、厚生年金の運用を資産運用のプロではない官僚が有効に行なうことは不可能であるということを指摘する。実際に、2002年度には、約150兆円に上る年金積立金のうち31兆6000億円を株式市場で運用した結果、約3兆円の赤字を出し、累積損失は6兆円以上に達したという。そして、そもそも厚生年金はミニマム・スタンダードを超える部分であり、本来は廃止すべきであり、個人は自立した人間として自分の老後の設計を自己責任で行なうべきであるとも指摘する。


(3) 民主主義不在の日本

しかし、現実の政府はこれらの改革を機動的に推進できるイメージとはほど遠い。十数年郵政民営化を唱え続け、それを公約として総理大臣に選ばれた小泉首相でさえ、強力な抵抗に見舞われる。その最大の理由は、「日本に民主主義が存在しない」ことにある。民主主義とは、筆者によれば「投票によって選んだ人には期限付きで独裁的な権限を与えるやり方」ということになるが、日本はリーダーに全権を与えない国である。権力がそれぞれの既得権益を持った集団ごとに分散し、各集団の力がきわめて強い状況では、誰が総理大臣になろうと結果は変わらないのだ。

こうした日本の状況は、領主、貴族、教会が強い力を持ち、王が領主間の特権の調整役に過ぎなかった中世ヨーロッパに酷似している。ヨーロッパはその後、商人の台頭によって貨幣経済が発展し、王は彼らを保護することで莫大な税を徴収し、力を蓄えることが出来た。そして、強力な軍隊を保有し、絶対王政を確立、思いのままに国を治めることが出来るようになった。さらに、このような専制体制が市民革命によって倒され、ヨーロッパ社会は長い時間をかけて現在の民主主義システムを構築してきたのだ。

日本は、民主主義を単に「押し付けられたもの」と認識しており、その価値に対する評価が低い。そして、実質的には未だに中世のシステムにとどまっている。これまではこの体制でなんとか持ちこたえてきたが、民主主義が存在しない日本の政治状況では抜本的な改革が進むはずはない。特に、圧倒的に老人が政治のパワーを握っており、彼らが既得権にしがみつき、それを死守するためだけに動いている。今後、若い世代が、問題を顕在化させ、国民全体の意識を高めていかなければ政治は動かないし、日本の経済、社会は崩壊してしまう。