complexity論の展開

Managing Flowの授業についての続きです。

complexityの理論は相当奥が深く、様々な議論に応用できそうです。
(以下、complexity matrixの図を頭に浮かべつつ読んで頂けると幸いです)

第一に、企業や人への適用を超えて、国家の衰亡にも当てはめて考えることが出来そうです。例えば、アメリカはどうなのかとチクセントミハイ教授に聞いてみたところ、基本はover-individualizedだと仰っていましたが、いずれにせよ国であれ、どんな組織であれ、マトリックスの中でどんどん移行していくものなので、一概に言うことはできないということでした。

しかし、まさにその、複雑性のマトリックスの中での移行と国家の覇権の衰亡を重ね合わせることで非常に興味深い歴史の捉え方が出来るような気がします。

例えば、ぞっこん惚れ込んで読み続けている塩野七生さんのローマ人の物語を振り返れば、まさにローマについてはdifferentiationとintegrationを繰り返しながら衰亡しているイメージを抱くことが出来ます。カエサルが変えようとした共和政ローマの末期は、領土が大幅に拡大し、有権者(ローマ市民)と指導層(元老院議員)が比例的に増大し、少数指導体制である共和政が機能不全に陥っています。まさにover-differentiatedの状態。ここから、カエサルの後継者であるオクタヴィアヌスが帝政へ向けて改革を進めていきますが、integrationを強化するプロセスであると言えると思います。この改革によっていったんローマ国家がcomplexの状態へ移行し、地中海世界パクス・ロマーナを享受する時代へ向かうわけです。

てな感じで、歴史の中で国家がどのように衰亡してきたのか、そしてさらに、現代の国家あるいは文明がどのようなステージにありどこへ進んでいくのか、その分析のフレームワークとして使える気がしています。

第二に、これは単なる可能性的なアイデア、というより疑問に近いのですが、このcomplexity、複雑性の議論は、10年ほど前に相当流行っていた複雑系の議論と非常に親和性がある、というか同じ系に属するものなのかも知れないと感じています。これも来週教授に聞いてみなければなりません。

複雑系の議論は裾野が広く、なかなかに一言で説明し切らん、というかそんな簡単に説明できるほど理解できていないというのが正確なところなのですが、例えば生命が生まれ、進化してきたプロセスなんかは割合イメージしやすいです。

始めは非常に簡単な構造の原初的な生命が、地球の表面のスープの中で生まれて、それらがまったく無秩序に振る舞っているわけです。しかしやがて、生命そのものを存続させるために、環境やその他の生命との関わりの中で自然発生的により複雑な構造へと自己進化したり、互いに融合して新たな生命体を生み出していき、やがて気の遠くなるほどの時間をかけて相当高度な生命体へ進化していくわけです。このような、設計図なしに新しい秩序が自然発生的に生まれ、次のステージに進んでいくプロセスを、自己組織化、創発と呼ぶのだったと思います(たしか)。

カオスの極限にあるステージは、まさにover-differentiatedの状況で、そこから自己組織化が進むプロセスがintegrationのプロセス。そして、最終的に創発という一種のジャンプを経てcomplexの状態にたどりつく。しかしいずれまたover-differentiatedかover-integrationの状態になり、カオスへ陥る、ということを繰り返して進化してきたのが生命なのではないかなと思います。ていうか、教科書Finding Flowで書いてありましたね。

"complexity"と"complex system"は相当親和性は高いし、関係性もあるのではないかと思われます。来週聞いてみます。

だからなんじゃい、という意見もあるかと思いますが、物事を色々統合的に捉えられるのって気持ちいいんですよね。しかもそれがすごくシンプルな原則に基づいていたりしたらかなりの快感を感じてしまうんです。久しぶりにそういうものを見つけた感じがします。