あまりにまじめな

先日の記事でも触れたデンマークvsイスラム諸国の件ですが、考えるたびに暗澹とした気持ちになります。なんとなく、感情的にdepressしてしまい、ロジカルに分析するのも面倒な気分になってしまいます。一体全体、なぜこれほど激しい衝突になってしまっているのでしょうか。

メディアでの一般報道ではあまり詳しく扱われていませんが、JMMの記事で現地から素晴らしいレポートをして下さっているのがデンマーク在住の造形作家、高田ケラー有子さんです。恐縮ながら大部分引用という情けない記事ですが、非常に印象的なので是非ざっと眺めてみて下さい。でも気分は暗くなってしまうかもしれません。。。

そもそもの発端は、、、

昨年9月30日、デンマークの大手新聞社Jyllands-Postenが掲載したProphet Mohammedのイラストをめぐって、デンマーク在住のイスラム教グループのリーダーが、イスラム諸国へ尾ひれを付けてそれらのイラストを紹介し、それらのイラストがデンマーク国民の総意であり、すべてのデンマーク国民はモスリムを憎んでいるとして、デンマーク政府に謝罪とJyllands-Postenへの罰を求めたことが始まりでした。JMM No.360 Extra-Edition2より。以下同じ)
「尾ひれを付けて」の部分ですが、元々の12枚のイラストよりももっと悪意に満ちたものをわざわざ付け加えて、あたかもデンマーク国民の総意であるかのように使われているそうです。しかも、誰がつけたしたのか分からない。どのような内容だったかというと、「そのひどいイラストはProphet Mohammedが豚の鼻をつけていたり、他のモスリムが犬にレイプされているというようなイラストで、いくらなんでもそんなイラストがJyllands-Postenに掲載されたわけではないのです。ですが、それがいっしょくたになって、イスラム諸国では「これこそがデンマーク全国民の我々に対する通常の態度だ」としているのですから、嘆かわしく困ったものです」とのこと。

誰がやったのかは分かりませんが、非常に悲しい気持ちになりますね。

元々の12枚がどのようなものだったかというと、

覚えている限りのイラストの内容は、ひとつは、目の部分が黒く隠された(人物を特定しないようにするためのアイマスクのような黒帯)Prophet Mohammedらしき人物がナイフを手にし、その両脇に立つモスリム女性は、Burkhaの隙間から目の部分だけが空いていておびえるような目だけが見える、というイラストで、もう1枚は、デンマークの政治家やブッダにキリストなどがターバンを巻いて皮肉的に描かれているもの、そしてもう1枚は、Prophet Mohammedの頭に巻かれたターバンの中に爆発物が仕掛けれているイラストで、これは自爆テロを象徴するものでした。その他、イスラムを象徴する三日月に沿うように顔が描かれ、片目が☆になっているイラストや、自爆テロをしても天国に処女はいないからもうやめなさい、とユーモアを含めて描いたものなど、なかにはそれほどひどいと思えないものもありましたが、モスリムの感情を逆撫でるようなイラストがなかったとは言いきれません。
必ずしも歓迎できる内容ではなかったことは確かなようですが、

この国の首相も同じようにおもしろおかしいイラストに仕立て上げられることは、日常茶飯事ですが、そんなことでいちいち目くじらをたてるものなどいないのが、この国の「常識」です。でも「常識」とは難しいもので、誰を基準にするかで、常識の中身は変わってきます。イスラム諸国の人々にとっては、Prophet Mohammedをイラストにすることそのものが禁じられているのですから、それを平気でやってのけるデンマーク人を憎む感情が生まれてもしかたないのかもしれませんが、言論の自由がある国で行われたことに異議申し立てることはできず、それがためにデンマーク国民全てがモスリムに敵意をいだいているとして、デンマークの国旗ダナボーを燃やしている光景は、やはり見るに余りあるものがあります。
異文化には異文化のやり方がある。自分たちの文化を大切にし、踏襲することと、異文化の中で暮らしながら、自分たちの文化を強要することは全く意味が違うということが、彼らには理解できないようです。それでも、全てのイスラム教徒が同じような意見を持っているのではなく、デンマークに在住するごく一部のイスラム教徒が、イスラム諸国へこのイラストを憎しみとともに紹介したことから、問題が大きくなっており、多くの在住イスラム教徒は、「郷に入れば郷に従え」の精神を理解しています。この国の中で新しく組織しているモダンなモスリムたちは、デンマーク流を受け入れ、こうしたことはデンマークでは許されることなのだと、割り切って理解しています。
Jyllands-Posten は新聞社としての謝罪は既にしているのです。掲載したことに対してではなく、掲載したものによって、不快に感じられたこと、感情を逆撫でしたことに対しての謝罪はしています。でも言論の自由という意味で、Prophet Mohammedのイラストを掲載したことが間違いであったとは認めていません。そのあたりで、イスラム諸国では、この国のルールでは罰せられないのなら、自分たちがデンマークをボイコットするしかない、ということになっているようです。
でも、デンマーク人も頑固ですから、ボイコットされるからといって、自分たちの主張を曲げたりはしません。また、そこを曲げてしまって、政府がボイコットを恐れて謝罪したとすれば、言論の自由が根本から崩れ、それこそ経済的テロに屈服することになるとして、政府は、政府が謝罪する理由はないとして今後も謝罪しないつもりです。実際ボイコットの被害業者からは謝罪するようにという要望も出されたようですが、きっぱりと経済的テロには屈しないとしたようです。ただ、関連業者にとっては深刻な問題であり、今後の動向が見守られています。
それを受けて、イスラム諸国では国連に異議申し立て、非道極まりないデンマークに罰を与えるよう要求するそうです。こうした、ため息しか出ない、話し合いにならない話が、デンマークイスラム諸国の間で起こっているのですが(精神的な戦争状態です)、最初は乳製品を買わない、って話程度に受け取っていたのですが、だんだんエスカレートして、ほとんど何でもかんでもとにかくデンマークと名のつくものは全て買わないそうで、中にはそれってドイツ製じゃないの? なんて製品も入っていたり、乳製品だと言うだけでニュージランドからの製品までもボイコットしているようで、とばっちりを食う業者もあるようです。デンマークの代表選手、レゴやノボの製品も買わないとか。子どもの夢を奪って、糖尿病の患者から薬を奪うことになっても、また罪のない人間までも憎むだけ憎んで、イスラムの人々は幸せなのでしょうか。
移住して来ているほとんどのモスリムたちが、デンマーク式を受け入れていることからしても、イスラム諸国の人々が、より多く留学経験や異文化体験をするようになったり、また在外のモスリムたちが、今回のような問題を解決する糸口をもって祖国と接し、国際理解が深まることを願いたいものです。そしてそれは、モスリムにだけ言えることではなく、異文化理解に関しては、国際社会全体の課題でもあると思います。
全体を通して感じること。それは、(意図的にやっているのではないと仮定して、ですが)モスリムの人たちは、あまりにまじめだということです。

デンマークの作家たちにも、異文化に属する人たちが尊重しているものに対する敬意が足りなかったことは事実かも知れません。しかし、あくまで、そこは風刺漫画の世界です。一体どこで線を引けばよいのでしょうか。権威とされているものを面白おかしく描いて一種貶め、それによって誰もが感じていながらも言葉に出来ないような真実を指摘してみせる。王様と道化師ではないですが、そのような批判精神とユーモアは非常に重要だと思います。

一切の「毒」を認めないとなると、人の精神は目に見えない強張りや重苦しい空気に取り巻かれ、腐ってしまったり、何らの進歩も生み出せなくなってしまうのではないでしょうか。

表現の自由は社会の柔軟な自浄作用を促す上で不可欠なものであって、可能な限り良識には立脚しながらも、多少の「毒」は許容していかなければならないのではないでしょうか。

しかし、今回の一連の動きを見ている限りでは、強い反応を示しているモスリムの人たちには、そのような精神の余裕がない気がします。あまりに生真面目であったり、あまりに頭が硬い。自分たちの価値観以外の価値観をまったく受け入れる余地がないし、ユーモアを解する余裕もない。

これも先進国側、非イスラム諸国に属する日本で生まれ育った人間特有の偏見なのかもしれませんが、正直少し怖い気がします。すべての一神教がすべからくそういう世界の捉え方を内包しているのかもしれませんが、唯一絶対の価値観を120%本気で信じ込んでいて、相対化して考えてみる余地をまったく持ち合わせていない人たちとどう生きていけばよいのか。あるいは、地道な異文化理解の促進によって彼らの一面的な物の見方を解きほぐしていくことができるのか。グローバル化がますます進展する今日、真剣に考えていかなければならない話の一つかもしれません。

ちなみに、高田さんの本件関連の記事はもう一本あります。
またいずれこの問題について考えながら紹介したいと思います。