政治と軍事のドラマの極致 -ローマ人の物語10 ユリウス・カエサル ルビコン以前[下]

政治と軍事のドラマの極致。
カエサルルビコン川を渡るまでが描かれる本巻には、そう称賛したくなるほどの迫力とリアリティと、そして、感動がある。

物語は前巻に引き続き、ガリア戦役を中心に語られる。まずは前巻での手痛い敗北を招く一つのきっかけともなったゲルマン人を完全に抑えるための、再度のライン渡河から始まる。これは闘うまでもなく終わる。

この前後の記述の中で文化的な観点から非常に面白いと思ったことが二点。単に自分が無知だっただけだけれども、少し視界が広がる感じがした。第一に、ガリア人(ケルト人)の多くは、カエサル以後の「ローマ化」を受けて、「ローマン・ガリア」と呼ばれるに至るが、彼らこそが後のフランス人を形成するということ。そう、大文明国家フランスの人々も、かつては未開人、当時の「中心」であったローマから見ればただの「周辺」に過ぎなかったわけだ。第二に、ゲルマン人とは要するに後のドイツ人であると考えて良いようだが、ドイツ、フランスの民族的な長きにわたる対立は、この紀元前の時代から育まれてきた根深いものなのだということ。欧米人というと一緒くたに見てしまって顔もあまり区別のかない僕のような人間からすると、一体何がどの程度違うの、と聞きたくなるけれど、現代でも彼らの間には大きな大きな、深い心理的なor文化的な溝があるのかも知れない。この辺もいずれ考えていきたい。

さて、政治と軍事のドラマの「軍事」の方は、ゲルマン問題の一応の解決直後に突如勃発する。ヴェルチンジェトリックスという若き指導者を得たガリア諸部族が、反カエサルで一致団結して蜂起するのだ。客観的に見ればまさに絶体絶命。ここでなぜガリアが反抗したのか、と問いたくなるが、当然自由と独立への思いは元々あったとして、カエサルが首都ローマでの政治に足を取られていたことが主たる要因であるようだ。

ガリア諸部族中、最大のカエサルシンパであったヘドゥイ族にすら裏切られ、兵数の差も圧倒的に大きく、また元老院との対立により首都からの支援も得られない状況下、まさに絶体絶命の状況なのだが、やはりカエサルは見事に切り抜けてしまう。「軍事の天才」と呼ばれるのもまったくもってうなずける。何といってもそのクライマックスは、都市自体を完全に包囲し、都市側と外側からの双方の攻撃に対する完全な備えを構築した上で、内側8万、外側25万もの敵を、わずか5万にも満たない戦力で撃破したアレシア攻防戦だ。まさに圧巻。同じく大規模な土木工事によって壮大な包囲戦をやって見せた秀吉による備中高松城攻めや小田原城攻めを思い出したが、その規模と爽快さはカエサルのアレシア攻防戦の比ではない。

そして、クライマックスは「政治」の局面でも展開される。ガリア戦役を成功裏に収め、民衆の間でこれ以上なく名声の高まるカエサルに対して、元老院議員達は大いに危機感を募らせる。少数指導制である元老院主導の共和制を維持したい「元老院派」に対し、その機能不全と改革の必要性を主張する「カエサル派」。具体的には、属州総督の任期が終了し、首都に帰任した後にカエサルが執政官となるまでの空白期間、どれだけの実力=軍事能力を維持していられるかが焦点となるわけだが、元老院派は執拗にこの削減を狙ってくる。他方、カエサルは相当程度妥協しつつ、可能な限り法に則って政治闘争を継続する。この緊張関係に終止符が打たれたのは、一種の超法規的措置であるとともに最後通牒でもある「元老院最終勧告」が突きつけられたときだ。

内戦の悲劇を自ら招いてしまうことに大いに心を痛めつつも、カエサルルビコン川を渡る。有名な言葉、「賽は投げられた」とともに。

カエサル元老院の対立は、2つの観点から捉えられると思う。
①革新勢力と現行勢力の政治主導権を巡る争い。
②機能不全に陥っていた元老院による国家統治システムを劇的に改革しようとする側と、それに抗する側との争い。

①は世の常であり、あらゆる国で、あらゆる社会で、あらゆる組織で起こる自然現象であり、そこには善悪というものは必ずしも存在しない。人間の本性に根ざすものだからだ。正不正で考えてもあまり意味がない。ただし、美醜は論じることが出来る。この場合、爽快な偉業を成し遂げ、かつ勝利者・成功者がよく陥るようなバカげた振る舞いに身を投じることもないカエサルと、自らの保身に汲々とし、国家という共同体に対して特段為すところもない元老院とを比べれば、どちらが美しいかは一目瞭然だと感じられる。

そのような個人的な感傷はさておき、歴史にとってより本質的に重要なのは②の観点かも知れないが、これは残念ながら不勉強でまだよく分かっていない。ここまで読み進めてきたローマ人の物語の中でも、きちんと自分の言葉で語れるほどに理解できているわけではない。ただ、属州が広範囲に拡大され、流通する情報の複雑性も劇的に増大していた当時のローマの現状からすれば、少なくとも情報の正しい把握と判断、意思決定の迅速さという観点からは元老院制度が機能しがたくなっていたことはたしかだと思う。

などと、悲惨な内乱を起こすに至ろうかというカエサルを見ていると、ちょっとひいてその歴史的な意義や、「正義」という観点を考えたくなってしまうところだが、とりあえずそんなものをほっぽっておいても十分に爽快な物語ではある。特に本巻は素晴らしい。繰り返すが、まさに、政治と軍事のドラマの極致、である。