にわか文学青年
最近村上春樹にはまっている。きっかけは2300マイル一人旅の帰りに寄ったサンフランシスコの紀伊国屋で買った『海辺のカフカ』。それまでは地下鉄サリン事件を被害者・加害者双方の視点からレポートした『アンダーグラウンド』『約束された場所で』以外は読んだことがなかったので、ほぼ初めての村上春樹体験と言っていい。同じ村上でも、村上龍とは作風がかなり違っていて興味深い。『半島を出よ』のような作品はのぞいて、村上龍の場合は厳密に構築されている物語という印象を受けることがほとんどなく、ほとんど勢いでほとばしるようにかかれている「かのような」印象を受ける。本当のところはどうか分からない。しかし、村上春樹の場合は、一見して極めてかっちりと構造が構築されている。その上、数多くの非現実的なシンボルが使われており、さらっと読んでさらっと深く理解できるような内容でもない。単純に読んでいくと、ところどころ深い洞察がちりばめられた幻想的な物語、という印象しか残らない。そしてその奥にあるメッセージや意味合いに自分の理解が及ばないがゆえのフラストレーションが若干生じる。それに比べれば、村上龍の作品は非常にストレートで分かりやすい。シンボルや虚構の持つメッセージ性を解読してその奥にある意味の連鎖を理解する、というような複雑な脳内作業はほとんど要求されない。
とりあえずカフカを読んで、その後『アフターダーク』を読んだけど、どちらもそこに込められた深い意味合いはな〜んにも分からなかった。ちゃんと理解するためにはもう少し深く考えながら読み直すことが必要なのだろう。今は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでいる。これも極めて幻想的な物語で、一体どういう形で終わりを迎えるのか非常に楽しみ。
村上春樹全作品 1979?1989〈4〉 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1990/11/20
- メディア: 単行本
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さて、村上春樹の話に戻ると、今更ながら「知らなかったのか」という感じだけれども、龍と共に海外では相当評価が高い模様。多数作品が翻訳出版されていることはもちろん、村上作品に関するシンポジウムなども開かれているようだ。マンガやアニメ、ゲームよりは敷居が高い気はするけど、世界に誇れる「日本文化」の一つなのかなと最近思い始めた。梅田望夫氏のブログで紹介されていた『世界は村上春樹をどう読むか』もかなり面白そうで、思わずAmazonで衝動買いしてしまった。村上春樹が文学論を展開している『若い読者のための短編小説案内』もついでに。文学!?と言えば宮城谷&塩野歴史小説とか、高杉&黒木ビジネス小説とか、ある種バイブル的な村上龍、そしてごくごく稀にゲーテとか芥川とか漱石とかドストエフスキーといった古典を読んだくらいで、これまでほとんど経験がなかったけれど、ちょっとまたより深い世界が切り開けそうな予感がしている。
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』はまだまだ時間がかかりそうだけれど、印象的なフレーズがあったのでちょこちょこ引用していきたいと思います。今日は、アランの幸福論+Jeremy Hunter的な会話について。ドラッカースクールでSelf-Managementの授業を取った方にとっては何らか響くものがあるかもしれません。
「疲れを心の中に入れちゃだめよ」と彼女は言った。「いつもお母さんが言っていたわ。疲れは体を支配するかもしれないけれど、心は自分のものにしておきなさいってね」
「そのとおりだ」と僕は言った。
「でも本当のことを言うと、私には心がどういうものなのかがよくわからないの。それが正確に何を意味し、どんな風に使えばいいかということがね。ただことばとして覚えているだけよ」
「心は使うものじゃないよ」と僕は言った。「心というものはただそこにあるものなんだ。風と同じさ。君はその動きを感じるだけでいいんだよ」