長期的価値創造のためのDCFモデル

企業価値評価 第4版 【上】

企業価値評価 第4版 【上】

第I部 原理編


第1章 企業価値の最大化


本章冒頭では、本書の主旨が単純明快に示されている。

本書では、DCF法による企業価値の算定方法、また、算定結果を的確な事業戦略の選択や投資判断のために活用する方法について述べる。DCF法では、将来の利益とキャッシュフローをさまざまな前提を置いて予測し、事業価値を算定する。多くの資本市場関係者がDCF法を活用すれば、株価には短期的な収益だけでなく、将来の長期的な利益やキャッシュフローが反映されるようになる。したがって、経営者が長期的な価値創造に注力すれば、その経営努力は株価に反映されるようになるはずである。本書は、短期的な視点に立った株式売買で利ざやを稼ぐトレーダー向けのものではない。また、四半期ごとの収益改善によって自社の株価を都合よく上げていこうとする経営者向けのものでもない。あくまでも、企業価値を継続的に創造していこうとする経営者を支援したいと考えてまとめたものである。(p.4)

何とも志が高いというか格調の高い宣言であり、読み手としても、じゃあいっちょ勉強したるかい、という気にさせられる文章だ。ただし、このような考えないし試みが成り立つためにはいくつか考えなければならないことがある。


第一に、株価が企業価値ではなく市場の恣意的なギャンブルで決まって乱高下してしまうのであれば、まじめな経営者の努力は水泡に帰してしまう。この点については定量的な分析に基づいて、株価は基本的にマクロのファンダメンタルズと企業の利益といった実体経済の要因によって決まると断言されている。「企業の株価が、その業績やリスクに基づく本来価値からかけ離れるとしても、多くの場合、それは短期間であり、また、特定の産業やサービス部門に限定される」(p.6)とのことだ。この結論を導くための分析に実に15ページの紙幅が割かれている。


第二に考えなければならないのは、そもそも株主価値に焦点を置くのはおかしいのではないか、という点だ。これについては、たしかに米英では企業の目的が株主価値の最大化にあるとの考え方が主流だが、ヨーロッパでは企業の目的をもっと広義にとらえてきたと指摘している。ただ、本章の結論としては株主価値の創造が他のステークホルダーへの貢献にもつながるのだという楽観的な見方が採用されている。

しかし、株主価値の創造が株主以外のステークホルダーの利益を損ねるわけではない。従業員を例に考えてみよう。劣悪な労働環境のなか、給与も十分に支払わず福利厚生を削るなどして、利益を少しでも増やそうとするようでは、企業が質の高い人材を引きつけておくことは難しい。このような処遇をして利益率が下がるのは、昨今の労働市場流動性の高まりと教育水準の向上等を考えれば当然だろう。逆に、従業員の待遇を改善すれば、経営者も気分よく経営にあたることができるだろうし、業績にもプラスの効果をもたらし得る。(p.23)

例えばウォルマートの事例などを考えるとそう甘く考えることはできないんじゃないかなとも思うけれど、とりあえずこの議論が本書の焦点ではないので軽く流しておこう。


第三に、さりとて性急な成果を求める株主その他のステークホルダーからのプレッシャーにさらされた経営者は、なかなか長期的な企業価値の創造に意を用いるのは難しいんじゃないの?という論点がある。本章ではこれを裏付けるデータとして、「企業の役員401人を対象とした最近の調査では、55%の役員が、アナリストによる四半期決算予想の達成と引き換えにできるのであれば、企業価値に資するであろうプロジェクトを延期するか中止すると回答した」(p.24)という話が紹介されている。経営者の受けるプレッシャー、推して知るべし、である。本章の最後には以下のような結論が示されている。これも非常に志の高い話だ。

プレッシャーは常に存在するが、それは必ずしも悪いものではない。短期的な業績向上と長期的な企業価値創造のトレードオフを整理し、勇気をもって実行できるかどうか−。それは経営者次第である。そして、より重要なことは、取締役会が、経営者がトレードオフのなかで正しい選択をしているかどうかを十分に精査し、積極的に判断すること。さらに、経営者が長期的な価値創造を志向したときに、取締役会が経営者を守ることである。(p.24)