デルの紛争回避理論

フラット化する世界(下)

フラット化する世界(下)

第五部 地政学とフラット化する世界


第14章 デルの紛争回避理論−オールド・タイムVSカンバン方式

この章のほんとうの主題は、フラット化した世界が強く必要とし、はぐくんできた新しい形の共同作業−とりわけサプライチェーン−が、古くからの地政学的脅威に影響を及ぼし、緊張を緩和させている流れを解明することにある。世界のフラット化は始まったばかりなので、誰も決定的な結論を出すことはできない。しかし、世界がフラット化するにつれて、古くからあるグローバルな脅威と、新たに台頭したグローバル・サプライチェーンが、お互いに影響を及ぼし、それが目を見張るような国際関係の激動をもたらしていることはたしかだ。昔ながらの脅威(たとえば、中国対台湾)と、カンバン方式サプライチェーン(中国プラス台湾)の相互影響は、二一世紀初頭の国際関係の分野に豊富な研究材料を提供してくれる。(p.341)

この点について筆者は、前著『レクサスとオリーブの木』では「紛争防止の黄金のM型アーチ理論」を提唱した。「経済発展によって、マクドナルドの店舗網が利益をあげられるくらいにミドルクラスが成長すると、その国はマクドナルドの国になる」。「そして、マクドナルドの国の人々は、もはや戦争を望まない」というわけだ。

そして本書では、フラット化した世界に合わせて新しい理論が提示されている。

その名も、「デルの紛争回避理論」だ。

フラット化した世界でのカンバン方式サプライチェーンの出現と普及は、マクドナルドに象徴される生活水準の全般的向上よりもずっと地政学的な冒険主義を抑止する効果がある(p.342)

デルが採用しているグローバル・サプライチェーンに組み込まれた二国は、双方がそのサプライチェーンの当事者であるかぎり、戦争を起こすことはない。なぜなら、巨大なグローバル・サプライチェーンに組み込まれた人々は、昔ながらの戦争をしたいとは思わなくなるからだ。それよりも、カンバン方式で品物やサービスを提供し、それがもたらす生活水準の向上を享受するほうを望む。(p.342-343)

天然資源に恵まれていない国にとって、グローバル・サプライチェーンに組み込まれるのは、無尽蔵の石油を掘り当てたに等しい。戦争を始めたためにサプライチェーンからはずされるのは、石油が枯渇したり、油田をセメントで埋められたりするのと同じだ。ふたたび石油を得るのは容易ではない。(p.344)

注意点。マクドナルド理論で述べたことを、デル理論でいっそう強調したい。戦争がなくなるわけではない。大規模なサプライチェーンに加わっている国の政府といえども、みずから戦争に踏み切ることはないとはいい切れない。戦争などないと信じるのは、世間知らずもいいところだろう。ただ、自衛のための戦争は別として、グローバルなサプライチェーンに織り込まれた国の政府は、戦争に踏み切る前に、その選択肢を三回−二回ではなくて−考え直すに違いない。(p.347-348)

理論の提示とともに、デルの相当具体的なサプライチェーンの詳細と、2004年12月の台湾議会選挙のケース、2002年のインドとパキスタンの紛争危機のケースをが紹介されており、「デル理論」に一層の説得力が加えられている。


しかし、同時に、フラット化の負の部分に光を当てることも忘れていない。最後にこの点に関する関係箇所を引用しておこう。

哀しいことに、新しい地政学的不安定の源は、数年前に出現したばかりで、最新アップデートされたデル理論でも抑止できない。出現したのは、変種のグローバル・サプライチェーンだった−犯罪者やテロリストなど、国家とは無縁の無法者どもは、フラット化した世界のあらゆるツールを駆使して、世界のすべてを破壊するような活動を推し進めている。(p.353-354)

アルカイダは、インフォシスがグローバルな共同作業に使っているのと同じツールを使うすべを身につけている。ただし、製品や利益を生み出すのではなく、暴力や殺人を生み出すために使用している。これはきわめて厄介な問題だ。あるいは、未来だけに目を向けていたいフラットな世界の各国にとって、最も困った地政学的難問かもしれない。フラットな世界は、残念ながらインフォシスにも、アルカイダにも開かれている。デル理論は、この裏世界のイスラムレーニン主義者テロリスト・ネットワークに対しては無力だ。なぜなら、このネットワークは国には関係がないから、指導者に説明責任を果すよう求める国民はいないし、抑止力になりうる国内ビジネスのロビー団体もない。(p.354)