ローマ人の物語22 危機と克服[中]

ローマ人の物語 (22) 危機と克服(中) (新潮文庫)

ローマ人の物語 (22) 危機と克服(中) (新潮文庫)

本巻では、内乱に乗じて起こったゲルマンの反乱とユダヤ戦役、そして前巻で内戦を収めたヴェスパシアヌスが行った皇帝としての統治の内容が語られます。他の巻と同様、学ぶこと、感じることがあまりに多すぎましたので、ユダヤ戦役についてと、ヴェスパシアヌスについてだけ簡単に触れておきたいと思います。


第一に、ユダヤ戦役の過程と結末を見ていて、宗教というもののあり方について、いや、正確には自分自身の宗教に対するスタンス、というものを考えずにはいられません。

ユダヤ民族は、ローマ帝国内でもその信ずる宗教の特殊性に鑑み、相当程度の「特別待遇」を享受してきました。ユダヤ教を信じ続けることは当然として、エルサレムでの祭司階級による自治、週に一回の安息日の遵守、等々、ローマは他の民族に対すると同様の「寛容」を宗教面でも示したのでした。特に、安息日には神に祈ること以外何もしてはならないという戒律をもつユダヤ人のために、安息日とぶつかった場合の小麦の配給をユダヤ人のためだけに別途別枠で行っていたくらいでした。

しかし、非常に人間的な多神教的価値観の下、きわめて現実的な政治・経済・軍事システムを採用するローマと、厳格な戒律に従う一神教ユダヤ人との間では、何度も対立が生じました。ユダヤ人の誰もがローマの統治を嫌ったわけではなく(実際、ローマの行政官として大成したユダヤ人も少なからずいますし、ローマの制度下で繁栄していた人たちも多かったようです)、主に貧困層を中心とした急進派が対立の先方に立ったのではありましたが。その対立が最も激化したのが、皇帝の乱立が続いたこの内乱期なのでした。

それにしても、僕にはローマの多神教的な価値観をベースにした「普遍」と「特殊」のバランスは極めて優れたシステムのように思えてなりません。ローマ人は非常に実際的な思考をする人たちで、自分の価値観を押しつけたり、あるいは他者の価値観を否定したりということは余程のことがなければしません。その合理的な思考に基づいた統治システムの下で、信教の自由と相当程度の特例を認められながら生きていく、という生き方では不十分だったのでしょうか。

一部急進派の激発という事情はあるにしても、どうも当時の多くのユダヤ人の生き方はあまり偏狭で独善的と思えてしょうがないところはあります。何て言うと、彼らからすれば神をも恐れぬ不遜な発言、ということになるのでしょうが、そんな偏狭な神様は正直言って嫌いです。似たような宗教観(八百万の神々/死者が仏になったり、神になったり等)を持つ日本人だからだと思いますが、僕にはローマ人のような多元的な物の見方の方がしっくり来ます。


第二に、ヴェスパシアヌスの人柄と治績について軽く触れておきたいと思います。

まず、人となりについて。印象的な筆者の言葉をいくつか引用しましょう。

ネロは、ユダヤ問題のみを担当する責任者として、ヴェスパシアヌスの登用を決めた。詩歌の自作自演でギリシア全土を"巡業"中だったネロだが、このようなことはきちんとやっていたのである。それも、ネロの自作自演中に居眠りしていたのが露見し、これはもう出世は望みなしと自他ともに思いこんでいたヴェスパシアヌスを登用したのだから、ネロはあっさりした性格でもあったのだ。

この人の武人としての能力は、当時のローマ軍の他の司令官たちと比べても特別に優れていたわけではない。これまでの経歴を振り返っても、戦略では名将コルブロにはるか及ばず、あざやかな戦術の駆使を得意とするブリリアントな指揮官でもなかったとはいえ、凡庸な武将ではまったくない慎重と堅実と持久力と健全な常識を持ち合わせていただけでも、凡人ではない。だが、これだけならば一般兵士の心までつかむことまではできないが、ヴェスパシアヌスには何とも言いようのない愛敬があった

立居振舞も洗練からはほど遠く、当時の教養の代名詞であったギリシア語は解したようだが、聴く人を感嘆させる弁論の使い手でもなかった。ただし、この田舎者丸出しの皇帝には、えも言われぬユーモアのセンスがあったのである。

後に行くほど辛辣になりますね(笑)。ですが、このような、様々な人間像と率直な塩野評に触れられるのも『ローマ人の物語』の大きな魅力の一つです。

肝心の皇帝としての治績はどうであったかと言えば、これもなかなかに辛口です。

ヴェスパシアヌスのやったことは、カエサルが切り開きアウグストゥスが固め、ティベリウスクラウディウスが手入れを怠らなかったためにより堅固になった、その道を進んだに過ぎないのである。

とはいえ、内乱続きで疲弊し、タキトゥスによれば「崩壊の一歩手前にあった」ローマ帝国短時日で再建した彼の歴史上の役割は、相当に大きなものであったことは間違いないでしょう。