たかが/されど

いよいよ今セメスターで最も苦しめられ、そしておそらくは色んな意味で最も勉強になったFinancial Policy & Strategyのグループプロジェクトが明日朝9時からのミーティングで終わりを迎える。全部で8つのケースを4人でやっつけたことになる。講義だけの日とmide-termの試験の日を除き、ほとんど毎週だ。それなりに感慨がある。

他のクラスのように、一人でケースを分析する分にはまだ気楽な部分がある。ましてや他のクラスではケースのwrite-upを書くことなど求められない。しかし、得てして浅く狭い分析にならざるを得ない。他方で、FP&Sの授業の場合、第一にwrite-upを書くとなるとさらに深く読み込むし、数字的な分析にも時間をかける。第二に、グループで取り組むゆえに、自分の持っていなかった視点を数多く他のメンバーが提供してくれて、自分の中でのmissing logicが気持ちよくうまっていく(こともしばしばある)。総体として一人でただ読み、分析するよりははるかに勉強になる。おかげさまで、ごく簡単なものではあるけれど、プロフォーマも作れるようになったし、DCF法でバリュエーションも出来るようになった。

ただし、こういう形での学習には相当なコストがかかることはたしか。時間的にも心理的にも。今回は後者の意味で相当勉強になることが多かった。要するにmainly例の人との関わりの中で学んだことなのだが、振り返ってみてどうも必要以上に彼に対して不愉快な思いを感じていた背景には、自分自身の中にnegativeな原因があったようだ。これに気づけたことは大きい。

たくさんあるけどとりあえず、自分は自分より能力がない「ように思える」人に対して強い苛立ちを感じる傾向があるということ。つまり、「なんでこれがわかんないの?」「なんでそんなにロジックがとんでるの?」「それ30分前に説明したじゃん」みたいな苛立ちを、出来るだけ顔には出ないように努めているつもりだけれども、瞬間的に内心で感じてしまうのだ。例の彼との関係が一時必要以上に悪化していた背景には、僕の抱いていた感情がverbal/non-verbalなメッセージとして伝わってしまい、彼の中でさらなる反感を生み出していたのだろうということは想像に難くない。

このような反応を自分の中に生み出していることには、いくつかの内心のassumptionないしbiasのようなものが左右しているようなのだけれど、そこまで書くのは生々しいのでやめとこうと思う。しかし、今回この傾向とその奥にあるものにまで気づけたことは大きい。なぜなら、卒業後、以前よりさらに多くの部下を持つ立場になった場合、このような傾向は極めて有害であると思うから。まだ、もし「できない(ように思える)部下」「やる気のない(かのように見える)部下」に出会ったときに、彼のやる気と力をどう引き出していけばよいか、実践的回答は持っていないけれど、どのようなアプローチをするにしても、相手を否定するような自分の内心の働きは百害あって一利無しだ。マネジメントやリーダーシップの文脈だけでなく、自分の心の健康のためにもまったくネガティブだと思う。このような傾向を創りだしている自分の内心のassumptionやbias、storylineを解きほぐしていくことが極めて重要だなと思う。

たかがMBA、されどMBA

職場で実際に経験するにはそれなりにリスクとコストが高いことを実験的に経験できる。これもMBAの醍醐味の一つかなと思った。