さらにパワーアップ!!

いやー、今年もすごかった。International Banquet*1
いや、去年より数倍すごかった。
日本人またもや大活躍。

去年のマツケン+ミニコントに引き続き、今年はなんと、
恋のマイアヒ/スマスマ・パラパラバージョン
②早稲女s(@ピッツァー・カレッジ)によるゴリエ・ペコリナイト
氣志團
という豪華三本立て!!

その前のperformerが自己陶酔Brazilian solo guitalistで相当に盛り下がっていたこともあって、会場も一転大盛り上がり。Drucker Schoolのdeanに至っては大喜びで体を揺らしまくりながら拍手喝采だったらしい(笑)。特に早稲女sのパフォーマンスは相当気合い入ってて感服。コスチュームも全員で合わせてたし、ダンスのタイミングも全員ほとんどカンペキだった。やるね〜。若いってすごいね〜(笑)。観客の沸き方もまったくレベルが違いましたよ。

これを是非クレアモント・カレッジズの日本人コミュニティの伝統にしてもらいたいところ。来年の新入生にも大いに期待です。

すっかり見とれて日本人チームの写真は撮れなかったけど、他の国のパフォーマンスの写真をまたそのうちupします。

で、関係ないけど、帰って興奮冷めやらぬままYouTubeを漁ってたら変なものをみつけました。中国人or台湾人による十周遅れくらいのパラパラ!しかも今年の夏にupされてるから、もしかしたら今むこうで流行ってるのかな!?結構うまいんだけど、本人たちのやる気がなさげでなんか笑える。客もやるきない(mainly がきんちょ)(笑)。おひまなときにどうぞ。

ちなみに、今日の日本人のパフォーマンスはdeanがあまりに喜んで、videoをドラッカー・スクールのウェブサイトに載せようと言ってたらしいので、下手したらほんとに載るかもしれません。

*1:毎年この時季にやっているinternational studentsによるお祭り。ドラッカースクールだけでなく、CGUだけですらなく、クレアモント・カレッジズのすべての学校、学部が参加します。各国の料理+ステージ・パフォーマンスが格安で楽しめます。去年はドラッカーの1年生が中心になってマツケンサンバとミニコントをやりました。僕がバカ殿メイクでマツケンをやりました。

しぼられてくるのだ。

私が『ルージン』をこの前読んだのは大学生のときで、十五年も前の話だった。十五年たって、腹に包帯を巻きつけられてこの本を読んでみると、私は以前よりは主人公のルージンに対して好意的な気持ちを抱けるようになっていることに気づいた。人は自らの欠点を正すことはできないのだ。人の性向というものはおおよそ二十五までに決まってしまい、そのあとはどれだけ努力したところでその本質を変更することはできない。問題は外的世界がその性向に対してどのように反応するかということにしぼられてくるのだ。ウィスキーの酔いも手伝って、私はルージンに同情した。私はドストエフスキーの小説の登場人物には殆んど同情なんてしないのだが、ツルゲーネフの小説の人物にはすぐ同情してしまうのだ。私は「87分署」シリーズの登場人物にだって同情してしまう。たぶんそれは私自身の人間性にいろいろと欠点があるせいだろう。欠点の多い人間は同じように欠点の多い人間に対して同情的になりがちなものなのだ。ドストエフスキーの小説の登場人物の抱えている欠点はときどき欠点とは思えないことがあって、それで私は彼らの欠点に対して百パーセントの同情を注ぐことができなくなってしまうのだ。トルストイの場合はその欠点があまりにも大がかりでスタティックになってしまう傾向がある。

戦争とはそういうものだ。

やばい。止まらなくなってきた。

「かたづけに時間がかかりそうだね」と小男は言った。
「まあね」と私は言った。「金もかかる」
「金なんてこの際たいした問題じゃない。これは戦争なんだ。金の計算してちゃ戦争には勝てない」
「僕の戦争じゃない」
誰の戦争かなんて問題じゃないし、誰の金かも問題じゃない。戦争とはそういうものだ。まああきらめることだな

にわか文学青年

最近村上春樹にはまっている。きっかけは2300マイル一人旅の帰りに寄ったサンフランシスコの紀伊国屋で買った『海辺のカフカ』。それまでは地下鉄サリン事件を被害者・加害者双方の視点からレポートした『アンダーグラウンド』『約束された場所で』以外は読んだことがなかったので、ほぼ初めての村上春樹体験と言っていい。同じ村上でも、村上龍とは作風がかなり違っていて興味深い。『半島を出よ』のような作品はのぞいて、村上龍の場合は厳密に構築されている物語という印象を受けることがほとんどなく、ほとんど勢いでほとばしるようにかかれている「かのような」印象を受ける。本当のところはどうか分からない。しかし、村上春樹の場合は、一見して極めてかっちりと構造が構築されている。その上、数多くの非現実的なシンボルが使われており、さらっと読んでさらっと深く理解できるような内容でもない。単純に読んでいくと、ところどころ深い洞察がちりばめられた幻想的な物語、という印象しか残らない。そしてその奥にあるメッセージや意味合いに自分の理解が及ばないがゆえのフラストレーションが若干生じる。それに比べれば、村上龍の作品は非常にストレートで分かりやすい。シンボルや虚構の持つメッセージ性を解読してその奥にある意味の連鎖を理解する、というような複雑な脳内作業はほとんど要求されない。

とりあえずカフカを読んで、その後『アフターダーク』を読んだけど、どちらもそこに込められた深い意味合いはな〜んにも分からなかった。ちゃんと理解するためにはもう少し深く考えながら読み直すことが必要なのだろう。今は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでいる。これも極めて幻想的な物語で、一体どういう形で終わりを迎えるのか非常に楽しみ。

ちなみに、クレアモント・カレッジズの図書館(Honold)の3Fにはアジア系の本がたくさん置いてあって、村上龍村上春樹から芥川等の大御所まで、相当数の文学作品が閲覧可能。これはかなり有り難い。村上龍もまだ読んでなかった作品をほぼ全部読むことができた。

さて、村上春樹の話に戻ると、今更ながら「知らなかったのか」という感じだけれども、龍と共に海外では相当評価が高い模様。多数作品が翻訳出版されていることはもちろん、村上作品に関するシンポジウムなども開かれているようだ。マンガやアニメ、ゲームよりは敷居が高い気はするけど、世界に誇れる「日本文化」の一つなのかなと最近思い始めた。梅田望夫氏のブログで紹介されていた世界は村上春樹をどう読むか』もかなり面白そうで、思わずAmazonで衝動買いしてしまった。村上春樹が文学論を展開している『若い読者のための短編小説案内』もついでに。文学!?と言えば宮城谷&塩野歴史小説とか、高杉&黒木ビジネス小説とか、ある種バイブル的な村上龍、そしてごくごく稀にゲーテとか芥川とか漱石とかドストエフスキーといった古典を読んだくらいで、これまでほとんど経験がなかったけれど、ちょっとまたより深い世界が切り開けそうな予感がしている。

世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』はまだまだ時間がかかりそうだけれど、印象的なフレーズがあったのでちょこちょこ引用していきたいと思います。今日は、アランの幸福論+Jeremy Hunter的な会話について。ドラッカースクールでSelf-Managementの授業を取った方にとっては何らか響くものがあるかもしれません。

疲れを心の中に入れちゃだめよ」と彼女は言った。「いつもお母さんが言っていたわ。疲れは体を支配するかもしれないけれど、心は自分のものにしておきなさいってね
「そのとおりだ」と僕は言った。
「でも本当のことを言うと、私には心がどういうものなのかがよくわからないの。それが正確に何を意味し、どんな風に使えばいいかということがね。ただことばとして覚えているだけよ」
心は使うものじゃないよ」と僕は言った。「心というものはただそこにあるものなんだ。風と同じさ。君はその動きを感じるだけでいいんだよ

うげ〜

卒業まであと半年と少し。早いものです。勉強以外にも何か日本に持って帰らねば、と最近ワインのデータベースを作り始めました。さすがカリフォルニア、随分安く買えるので、経済的な負担もほとんどありません。ありがたいことです。これまでにもいくつか、ParducciとかZingaroとかKendall Jacksonとか、いいのからひどいのまで色々ご紹介しましたが、今日はこれ、Dancing Bullです。

Clappy Dancing Bull...
Clappy Dancing Bull... posted from フォト蔵

結論。激マズ。another crap wineです。カネ返せ、みたいな。

まず、口当たりは水みたいで、まったく気合いが足りません。ラベルの気合い入りまくりのdancing bullは何かの冗談でしょうか。zinらしい奥ゆかしきfruityさもかけらもなく、水で希薄したワイン汁、みたいな感じです。そのくせ、ムダに自己主張は強いらしく、グラス一杯飲んでわずか15分後には頭痛が始まりました。まさにcrappy...

VONSで7ドルで買えるワインで、見た目も悪くないのですが、まったくオススメできません。

うげ〜

DANCING BULL
Zinfandel
My rate: ☆☆☆☆☆
Dry/Fruity: ★☆☆☆☆
Price: $7.00

これを全部飲まないといけないと思うと気が滅入る。。。
誰かコワイもの見たさで試してみたい人飲みに来て下さい。。。
さすがに寒くなってきたカリフォルニア、とりあえず身体は暖まりますよ。。。

盗人にも五分の理を認める

今日は久しぶりに徹夜中。22時に16時からぶっ続け2コマの授業が終わり、翌日9時からのアントレ・ファイナンス勉強会に向けてケースを分析中。今一応一個終わったのでちょっと休憩。

先日のムカっ腹の記事には反響が多かったが、水曜の授業の合間にHb氏と話をしたところ、久しぶりにカーネギーを読みたくなった。しかし、これまで3度読んで3度とも感動した割りには身についていない。そこで今回はただ読み通すのではなく、ポイントをまとめていこうと思う。皆様にも何らか参考になれば幸い。

人を動かす 新装版

人を動かす 新装版

PART 1: 人を動かす三原則
1 盗人にも五分の理を認める

どれほど自分が正しくても/正しいと思える場合でも、人を批判、非難することはよしたほうがいい。苦情も言わない方がいい。なぜなら、相手は自分を弁護したり(「そうするしかなかった」)、批判者を恨んだりして、何ら原因となった事態が改善しないというのが関の山だからだ。行動の誤り、態度の誤り、責任の欠如等だけでなく、能力の不足、欠如についても責めない。徹底的に相手の立場に立って考える。「もし自分が相手だったら、同じ行動を取っただろう」と。

自分の家の玄関がよごれているのに、隣りの家の屋根の雪に文句をつけるなと教えたのは東洋の賢人孔子である。(p.26)

死ぬまで他人に恨まれたい方は、人を辛辣に批評してさえおればよろしい。その批評が当たっていればいるほど、効果はてきめんだ。(p.27)

およそ人を扱う場合には、相手を論理の動物だと思ってはならない。相手は感情の動物であり、しかも偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動するということをよく心得ておかねばならない。(p.27)

若いときは人づき合いがへたで有名だったベンジャミン・フランクリンは、後年、非常に外向的な技術を身につけ、人を扱うのがうまくなり、ついに、駐仏米大使に任命された。彼の成功の秘訣は「人の悪口は決していわず、長所をほめること」だと、みずからいっている。(p.27)

人を批評したり、非難したり、小言をいったりすることは、どんなばか者でもできる。そして、ばか者にかぎって、それをしたがるものだ。理解と、寛容は、すぐれた品性と克己心をそなえた人にしてはじめて持ちうる徳である。(p.27)

人を非難するかわりに、相手を理解するように努めようではないか。どういうわけで、相手がそんなことをしでかすに至ったか、よく考えてみようではないか。そのほうがよほど得策でもあり、また、おもしろくもある。そうすれば、同情、寛容、好意も、おのずと生まれ出てくる。すべてを知れば、すべてを許すことになる。(p.32)

こうしてみると、件のケースではやってはいかんことをモロにやっておりましたな。
あはは〜
まあ、また元の仲良い状態に戻ったし、結果オーライということでひとつ。

ちなみに、この章の内容は「いかに敵を作らないか」「憎まれないか」という基本的な部分について語られているようだけれども、本当に難しいのは、その基礎の上に立った上で、「もし本当に能力のない人、無責任な人の行動を変えさせたり動かしたりしないといけないときはどうすればいいのだろう?」「仕事上の基準を満たすことのできない部下を前にしたとき、どのようにアプローチすればいいのだろう?」といった問いに答える方法を自分なりに考えることだと思うけれど、これは本当に難しいと思う。まだまだ全然答えは見つからず。